〜 〜 『 寅 の 読 書 室 』 〜 〜
 

2010/12/25 (土) 『新・平家物語 (十六)』 P−299 〜 P−303

二人の修験上がりは、解かれた猟犬りょうけん のように、すぐ白洲へ下りて来た。
そして、意地悪い眼と嗅覚きゅうかく を働かせながら、弁慶以下十二名の偽山伏の座を、一人一人克明に めまあして歩くのだった。
伊勢、片岡、亀井などの面々は、かわ ぎ役のその法師が、ふと、義経の前で足を止めたときなど、思わず体を硬ばらせた。制しようもなく、研がれた眼気をつい持って、左の手を、腰の戒刀かいとう へ忍ばせた。
もし、皮剥ぎの役の彼らが、ひと言でも、主君義経を、その人と、看破かんぱ するかのようだったら、二言と言わさず、すぐ起って斬り伏せてしまおう。また、吟味の席にある富樫左衛門尉をも刺し殺して、一挙に、関を踏み破らん。 ── 伊勢、片岡ばかりでなく、その覚悟は、ここの関所へかかる前から、既に一同の中で、申し合わせていたことなのである。
── が、体も小柄なうえ、旅のあか にもまみれて、さも疲れたように、うずくま っていた末弟の一山伏を、彼らも、さすがにそれとは、疑いきれなかったものらしい。
皮剥ぎ役の法師は、義経へ注いでいた眼を、ふと逸らすと、急に弁慶の方をあごで指し合いながら、列のはじ めの所へ戻ってしまった。
正面のきざはし をはさんで、弁慶と向かいあいに、彼らもそこで、重々しげに床几しょうぎ へ腰かけた。真の山伏か偽山伏かを、試むための問答を、職としている修験上がりの彼らなのだ。おそらく、弁舌や博識は、みずからも充分、誇るところががあるに違いない
「まず、もの申すが」
と、弁慶を正視しながら、問答坊しての一人が、まず口を開いた。
「客僧がたの中でも、わけて貴僧は、大峰に入ること三度、白山、羽黒にも、修行を積んだだい 先達せんだつ とのこと、それほどな行者とあれば、修験道しゅげんどう 百般、何事にも通じておらるるものと思うが」
「いやいやなんの」
弁慶はうす笑って、
「道の深遠しんえん虚空こくうだい 。 ── 百事に通じるなどとは、凡身一生をかけても、足らぬほどな悲願ででおざる。なれど、知る限りは、お答え申さん。なんなりと、問い給え」
「ならば、問うが、優婆うば そく の起こりは」
えん小角しょうかく を、祖といたすは、人も知ること」
「教義は」
ぎょう じゅ 。 ── 身をもっていたす実習実行こそが、そく 、教えでおざる。ゆえに、他宗門のごとき、宗祖はない。深山大岳を、道場とし、法耳ほうじ をもって、大自然にのり を聴き、法心をみが いて、石の声、たに の水にも、道を聴く」
「その、願うところとは?」
即身そくしん 即仏そくぶつ
「とだけでは、明らかでないが」
生仏しょうぶつ 不二ふじ 。 ── その身そのまま、現前に、仏果のしるし を、この肉身に知ることに他ならぬ。」
「そは、天台、真言も説きふる したこと。事新しい儀ではあるまい」
「されば、小角しょうかく の後、五大山伏と仰がるるだい 先達せんだつ がおわす。 ── 智証ちしょう理源りげん の両大師、また、白河院の増誉ぞうよ など、それぞれ、山林苦行の験を身をもって示され、熊野、大峰、葛城かつらぎ の諸山に壇を開き給う。 ── それより、ふう を慕うのともがら 、たとえ出家の身であら ずとも、在家ざいけ蓄髪ちくはつ 、妻帯のまま、みな現前の証得しょうとく わんと願うて、修験しゅげん の道に入り申したり。・・・・ゆえにそれ、修験の道の、いやちこなる功徳くどく いかんといえば、天地の大自然を師壇となし、農は農のまま、士は士のまま、生身なまみ即仏そくぶつよろこ びを知ることかと覚えて候う」
「では、その持仏じぶつ は」
大日如来だいにちにょらい、まった、普賢ふげん文珠もんじゅ不動ふどう弥勒みろく観世かんぜ おんしょ 菩薩ぼさつ をあがめ奉る」
「あがむるぶつ も、他宗とたがわず、求むる願いも、変わりなきに、その行儀、修法に相違あるは、いかに」
「峰中の修行、大岳の起臥きが 。おのずから伽藍がらん の行儀衣体えたい とは、違うが自然と思わるる」
「聞き及ぶ、それらの十六道具とは」
兜巾ときん斑蓋はんかい篠懸すずかけ袈裟けさ法螺ほら念珠ねんじゅ錫杖しゃくじょうおい 、肩箱、雨皮あまかわ脚絆きゃはん 、引敷を十二道具ととなえ、また檜扇ひおうぎ柴打しばうち (戒刀、あるいはおの ) 、走りなわ草鞋わらんじ を加えて、十六道具とは申すなれ」
兜巾ときん の布は五尺と聞く、五尺のこころ は」
五智ごち の宝冠をかたど るとか」
「十二のひだ は」
「十二因縁いんねん を折りて、頂く」
篠懸すずかけ とは」
九会くえ まん 陀羅だら象徴しるし と申せど、これはただ、山路のしの に懸ければの名か」
法螺ほら の貝は」
迷霧めいむ の道しるべ、あるいは、法会ほうえ の式具に」
「してまた、八ツ草鞋わらんじ は」
たたみかけると、弁慶は、とつぜん、両の肩をゆすぶって、
「あら、ばかばかしき物問いかな」
癇癪かんしゃくうず きを、歯の根にこら えて、あざ笑った。
「── そも、八ツ目の草鞋は、八葉はちよう蓮華れんげかたど るぐらいなことは、山伏の初学。あれ、あの末座の法弟どもさえ、心得おるところだわ。さるを、いちいち博識ぶっての物問いこそ、笑止なれ・。・・・・いかに富樫どの」
と、その眼を、正面の泰家へ移して、
「げにおろ かな日長問答。かかる愚弁を聞き居給うは、富樫どのにも、さだめしお欠伸あくびもよお されん。貧道ひんどう ら一同にとっても、じつもって迷惑千万。このうえは、 う、関の木戸を押っ開いて、お通しあらんことをねが う。お約束のごとく、お通し給われい」
と、いっそう声を大にして、どなった。
すると、富樫泰家が、何も言わぬ先に、もう一人の問答坊が、
「いやまだ、そうはならん」
食って懸かるように、弁慶へ向かって吠えた。

『新・平家物語(十六)』 著:吉川英治 発行所:株式会社講談社 ヨ リ
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