「なに」 と、しり眼をくれながら、弁慶は、わざとまた、落ち着き払って。 「なおまだ、御不審の候うか」 「質
さねばならぬ儀は、これからぞ」 「いかなる儀を」 「さいぜん、富樫殿へ申すことを聞けば、客僧たちは、大仏殿建立
募財 のため、諸道へ派せられた勧進
衆 の由、ならば、東大寺の印可
は、御所持であろうな」 「もとよりのこと、それなくして、なんで世の浄財を、私
に募 りえようか」 「ならば、まず勧進の文を、お見せあれ」 「おう、いとやすいこと」 弁慶は、後ろにいた仲教へ目くばせして、笈
の中の一巻を取り出させた。 そして、おごそかに、 「これは、造
東大 寺
長官藤原行隆卿と、勧進の大上人重源の御加判あるもの。かかる不浄な場所にて、見せ示す物ではないが、御疑念を持たるるは心外。つつしんで、拝されよ」 と、巻きの文を、彼の方向へ向けて披
き、また、そのまま身をめぐらして、床上
一段高い所に居る富樫泰家の座へも、きっぱりと見せた。 「・・・・・・・」 凝視する泰家の眼が、やがて、うなずくかのように見えた。 すると、弁慶は、さらさらと、巻
をまききを収めて、頂礼
した後、仲教の手へ、すばやく、それを返してしまった。 問答坊は、満足したとも見えなかった。だが、言い懸りのつけようもなく。 「勧進の文は、諸道一様なりとの由。そのためか、偽
りの印可を持ち歩く悪僧も、あまあるやに聞き及ぶ。客僧がたを、疑うではないが、なお念のため、問い申したい。── そも、かほど重き、造寺造仏の勅をうけたる勧進大上人の重源とは、いかなる智識か」 「紀
ノ長谷雄 のお末裔
におわし、十九にして大峰へはいり、入峰
五たびの修行をつみ、また、遠く海を渡って、入宋
すること三度、世のつねの、碩学
とは異なり、行 をもって、即仏
を現身 に見せしめ給う行コ
の聖 でおざる」 「入宋三度の御
知 見
は」 「五台山を巡遊し、阿
育王 山に学び、また浄土五祖像を将来あるなど、世の聞こえ、隠れもおざらぬ」 「では、大仏造立
の願文 の趣旨は」 「聖武の帝
の詔 をもって、心といたす。詔にいう。
── 天下ノ人ヲシテ、一文ノ銭
、一合のノ米ヲ論ゼズ、力ノ多少ニ従ヒテ、加進ヲ得セシメ、各々
ニ和福ノ楽シミヲ頒 タン
── と」 「工に従う人びとは」 「大勧進の下に、惣大工には、宋人の陳
和 卿
、陳仏寿の兄弟を始め、同朋五十余人、宋人の鋳物
師 七十二人。養和元年に、鞴
始 めをなし、その年、まず螺髪
のおん首を鋳 始
めたり」 「奉加の大
檀家 はたれたれか」 「上は、帝王を始め、連枝の宮々、諸公卿は申すまでもなし、鎌倉どの、秀衡公なども、およそもるるはなけれど、聖武のおん詔
にも、一枝 ノ草、一把
ノ稲トテ、造仏ヲ助ケムトスル貧者ノ奉加ハ、コレヲ、オロソカニスル勿
レ ── と見え申す。されば、世の隅々まで、あまねく、発願の聖旨を知らしめ、辺土の民にも、ひろく大
廬 遮
那 仏
の結縁 を得さしめて、万民祈祷
の泰平の本尊を、この土 に招来
あらしめんこそ、貧道ら勧進衆の務めとこそは存ずるにて候う」 弁慶は、数珠を押しもみながら、泰家を、拝して。 「── 帰命
頂礼 。ここは茨
の柵 に、浄
玻璃 の鏡をかかげて、追捕
の凶徒をお検 めの関。さながら閻王
の門に似たりといえど、それも、諸民安堵
のためのほかではおざるまい。あわれ、大
廬 遮
那 仏
の造立 こそは、大恩
教主 が、この土
に弘誓 ありたる四海泰平の象徴
にほかならぬものにて候う。・・・・何とぞ、おん関守
にも、今日の結縁 を、授受
あって、われら貧道の浄業
をあわれみ、四海兄弟のお心のもとに、一紙半銭の奉加なりと、喜捨
あらせられい。つつしんで、願い奉る」 滔々
と述べ終わった後、すぐつづけて、弁慶は低声に、経文を誦
みはじめた。承意や仲教やそのほかもみな、かれにならって、唱和し出したので、白洲の内は、流れる水音のように、静かな風誦
の声に満ちた。 「・・・・・・」 さっきから、左衛門尉泰家はおりおり、眼を閉じて、弁慶の答えに、聞きとれているふうだった。 山伏どもの列座の末の方に居る義経の姿を、それとなき眼で、ながめてもいた。 おたがいは武士だ、かなしい武門の枷
や業 の、なんたるかは、知っている。 泰家とて、木曾軍に与
し、眼 のあたりに、義仲の転落も見、さまざま、武人の末路や悲歌は、身にも覚えのある者だった。 いつ、今日の義経の境遇が、明日の自分にも、ないとはいえない。 しかし、もし自分がそうなった時、ここに見える、義経の郎従の様な者が、自分にあるか否かを考えると、泰家は、うらさびしさに、たえなかった。ひそかに、義経への羨望
さえ、覚えられて来るのであった。 それとまた、泰家には、この春、鎌倉の安達清経の家でゆくりなく見かけた静の姿をも、この日、思い出さずにいられなかった。
── その夜の、静の清節
も見ていたし、鶴ケ岡の舞いも、陪観
していたのである。 あれこれ、思い合わせると、自分も、何かの宿縁に、つながっている一人と思わずにいられない。泰家は、さっきから、涙を外に見せまいとし、そのため、いっそう容儀を硬めていたのであった。 そして、ひそかには、問答坊に対する弁慶の答えが、見事とも、賞
めてやりたいほどに思われていたのである。ほっと、、自分までが、救われた気がしたのだった。 「いや、いちいち明らかな返答、神妙に承った。げに殊勝
な人びとであったものを」 泰家は、そういった後、関所抱えの二人を見やって、 「問答役、大儀であったぞ。が今は、偽
山伏 たらんなどの疑いは解けた。なんじらも、退
がってよかろう」 と、白洲からしりぞけた。 次に弁慶以下一同へ向かって、 「これまでは、関守の役目、卒爾
はゆるされよ。が、疑いの晴れたうえは、泰家私
として、寸志を勧進の内へ捧げ奉らん」 料紙硯
を寄せて、加賀絹十匹、白袴
一腰、鏡一面と、目録に書いて、家臣の手から弁慶へ授けた。弁慶は押し戴
いて、 「疑滞
をお除き給わるのみか、即座の御奉加、なんとも、ありがたき倖せにぞんじまする。やよ同朋
たち、つつしんで御礼を申し上げよ」 と、後ろの面々へ披露した。 さらに、泰家の家臣から、 「山伏一同へ、酒飯
を差し上げよとの仰せでおざる。関屋
の内庭へ、お通りあれ」 とも請
ぜられたが、弁慶は、厚く好意だけを謝して、 「われら山伏は、身にふさわしい行飯
と申す旅糧 を、おのおの朝の宿立ちに所持して出まする。かつは、陽も高きまに、先を急ぎとうおざれば」 と、やおら、人びとを促
して、白洲を出で、開かれた関門
の一歩を、無量な感で、ほっと、通った。 |