〜 〜 『 寅 の 読 書 室 』 〜 〜
 

2010/12/23 (木) 『新・平家物語 (十六)』 P−295 〜 P−298

「── およそ、かくれないことでおざれば、ここの富樫殿にも、つと に、御存知はあらんも、一応は申し奉らん。かねて、南都東大寺大仏殿の建立こんりゅう にあてって、ひろく世間に結縁けちえん を求めんため、大勧進の智識重源ちょうげん 上人しょうにん には、一輪車いちりんしゃ 六輌ろくりょう を造って、老躯ろうく をはげまし、七道諸国を、数年にわたって、説き歩き給う」
流れるような声である。
弁慶は、 を置いて、
「されば、われら修験のともがら へも、ぞう 東大寺大仏使より切に合力を請い求めらる。もとより一世の所願しょがん なれば、吉野、葛城かつらぎ はいうに及ばず、全土全山の優婆うば そく をあげて、こたえ奉らんの約を結ぶ者、数百。 ── すなわち、貧道ひんどう らは、奥羽を巡行して、人びとの報謝ほうしゃ を仰ぎ、あまねく、仏果ぶつか を得せしめんがために、かくは多くの同行を して、まかり下る。・・・・しかるに」
一歩、階の方へ進んだ。
へび の目が、はっと、動く。
泰家は、まじろぎもせず、弁慶のくち もとを見ていた。
「いかなるわけか、この関にては、修験者とだに見れば、ただの野伏のぶせ りか盗賊かの如く、まず邪悪視して、いささかの疑点あるも、ただちに、獄へ投じ給うかのういわさを聞く。・・・・まことにもって、言語道断、富樫殿ともあろう御守護が、さる悪政を好ませ給うはずはない。貧道らは、以上述ぶるところの所願のため、遍歴いたす者、願わくば、一刻いつとき も早く、関をお通し給わらんことを。 ── あわ せて、かかる直面じきめん を仰ぎえたるも、また一つの法縁にこそ。たとえ、なにがしかの宝財なりとも、勧進の内へ、喜捨あらせ給わば、ありがたく存じ奉りまする」
一気に言い終わって、弁慶は、指に懸けていた数珠じゆず の手を胸に合わせてはい をした。
「む、あきらかな返答。その儀は、よくわかった」
と、泰家はかろく、
「したが、かくれもないことというなれば、ただ東大寺大勧進の触れのみではあるまい。去年こぞ より四たびの院宣さえ降って、鎌倉どのが、諸州に追捕ついぶ を令しおかるる叛賊義経の沙汰もまた、三歳の児童も知るところ。御僧ごそう たちとて、それを知らないでどうしよう」
と、薄く笑ってみせた。
ぎくと、こたえながらも、弁慶は。
「あいや、ぜん 予州よしゆう どのの追捕沙汰なら、わきまえぬとは申しませぬ」
「ならば、いずこの関といえ、いとどあらた めのきびしいは、知れたこと。わけて、判官主従、そら 山伏となって、国々を潜み歩くとの風聞もある。聞き及ばぬか、そのことは」
「そは、きつい迷惑に存じおりまする。聖道を行くわれらにとっては、にく んでも余りある 行者ぎょうじゃ 。もし見つけたら、容赦はなりませぬものを」
「それよ、まして、鎌倉殿の厳命の下に、ここの関を守る富樫左衛門尉ぞ。たとえ、東大寺直々じきじき の勧進僧たりとも、やわか、ただ さずに通そうか」
「なおまだ、なんの御不審やわる?」
「不審は」
ふと、泰家は、弁慶から視線を らした。
彼以下の、平修験者の座列を、そして、その一つ一つのつら だましい を、ずうっと、ながめてでもゆくような眸だった。
弁慶は、胸騒ぎを、制しきれない。
── 義経が、どうしているかを、背だけで、案じた。
泰家は、またいつか、その弁慶のおもて へ、しずかな眸を戻していた。
先達せんだつ の俊乗とやら。なお解けぬ疑いは、にわかにも挙げきれぬ。吟味は、これからぞ」
「あら、言語道断、迷惑な長吟味よ。何をもって」
「だまれ」
泰家の、大喝だいかつ は、彼の侍臣や、白州の番将さえ、驚かせた。
「世事にうとき山伏と思い、申すがままに、よう扱ってつかわせば、守護をも、関をも恐れぬ雑言ぞうごん 。言葉の端にも、 に落ちぬものがある。 ── 種次っ」
番将の方を望んで。
「白洲のめぐり、木戸の外、兵どもに取り囲ませて、この山伏どもを、びくとも起たすな」
「はっ、油断はございませぬ」
「よし」
面を横に向け直した。そして、さっきから、彼の側にあって、猜疑さいぎ の目をとぎすましていた修験上がりの法師二人を見て、こう、いいつけた。
「下へ降りて、その方どもから、勧進の実否、行道ぎょうどう の百般、仮借かしゃく なく、問答をこころみてみよ。左衛門尉の前に出て、思うざまな下の根をいふるい、倣岸ごうがん 、かくの如きは、まだ見たことがない。そら 山伏やまぶし にせよ、なかなかのやつと見ゆるぞ。見事、こやつらの面皮めんぴ を引っ いで見せい」

『新・平家物語(十六)』 著:吉川英治 発行所:株式会社講談社 ヨ リ
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