〜 〜 『 寅 の 読 書 室 』 〜 〜
 

2010/12/22 (水) 『新・平家物語 (十六)』 P−286 〜 P−290

遠見の番卒は、すぐ、下の番卒へ、
「あれよ、物々しい山伏の一群が、これへさしかかれうぞ」
と、告げていたに違いない。
早くも、その物々しさは、彼らの中に見えて、道に立ちはだかっていた。
弁慶は、同行はなくず を後ろにおいて、ただ一人、ずかずかと、その前へ進んで行った。何やら呶々どど と説明に努め始める。持ち前の音声おんじょう と六尺の背丈は、それだけでも、相手を慴伏しょうふく させるに充分だった。番卒たちは、初めの気勢も失せ、ただ気圧けお された沈黙にまじまじしていた。
そのうちに、弁慶が、片手を振って、振り向いた。 ── 後ろで、固唾かたず をのんでいた面々へ、目配せをしたのである。
「よいそうだ、よいというわ、通り候え、人びと」
番卒たちは、あわてて、
「よいとはいわぬ」
「やあ待て。修験衆しゅげんしゅう
にわかに、わめいたが、弁慶の大またな歩みにならって、一同もまた、どやどや橋を押し渡った。
そのどれ一人、凡物ただもの とは見えなかった。ひと癖ありげでない者はない。番卒にも、はっと、眼に映ったものだろう。手出しはし得なかったまでのこと。関門せきもん へ向かって、ばらっと二、三名は先に馳け出し、また例の、貝の が、鳴り渡っていた。
関門までは、わずか数百歩。
さく に、幕を打ちめぐらし、門の内側に二ノ番所、横に関所やかたうまや が見える。
すると内から、番将の一人が躍り出て、何か辺りへ高々と怒鳴っていた。 「── 出合え、出合えっ」 とでも叫んでいたらしい。たちどころに、無慮五十名ほどな兵が って、陣を した。末端の兵は、弓弦ゆづる に矢つがえした。もう、眼前へ来ていた山伏の一群をにら まえてである。
「やあ、ひかえろっ。そこで待て」
番卒はしかった。まるっこい巨きな体が振りしぼった声なのだ。
「ここを、どこと思う。富樫殿がかたむる安宅ノ関、なぜ、番卒の命を待たず、無法に押し通るか」
「これは関守せきもり のお役方にて候うか。先達せんだつ として、一同に代わり、お答え仕る」
叡山の承意が前へ出て、いんぎんに色代しきだい (あいさつ) していう。
「名だたるおん関所、なんで、無下むげ な振る舞いに及びましょうや。これなる同朋どうぼう が、早呑み込みに、委細のお調べは、御関所と指さすまま、一同、わきまえもなく、通ったまでにどざりまする」
「ようし、それが真実かうそ か、急には、問うまい。眼に余る同勢、一々念入りにあらた めてやる」
番将は、かたわらの者へ、耳打ちして、どこかへ走らせ、そしてまた、言い続けた。
「およそ近ごろ、修験往来の徒には、とりわけ、関の吟味のやかましいことは、里々さとざと のうわさにも、聞き及んでおろうがな」
「もとより、この人数のこと、疚しからねばこそ、かようには、白昼、おおらかに、歩んでおりまする」
「むむ。広言はなんとでも吟味所で述べろ。そのまま、一名残らず、あれなる内へはいれ」
番将は、南側の関屋のさく を指さした。
そこにも、別な木戸が見える。
「番卒ども、修験衆を、吟味所へ」
彼の言下に、兵は、義経主従を取り囲んで、うむをいわせず、柵内へ追っ立てる。
内は、ただ玉砂利が敷きつめてあるだけの広い庭だった。関屋の廊は鍵形かぎなり白州しらす を抱えて、正面のかい の上には、広床ひろゆか が見え、まだ真新しい木の香がつよく鼻を つ。
「下におれっ。なぜ、下に かぬか」
番将が、しきりに、叱咤しった するのを、
「心得ぬことをば」
と、弁慶は、小うるさ気に、
「われらは、ただの往来人、なんで、白州に伏さねばならぬいわれがあろう。つねに大峰、葛城かつらぎ行場ぎょうば へこもって、身をたき 津瀬つせ に打たせ、かりそめにも、不浄を優婆うば そく の弟子でおざる。 ── すわれと仰せなら、すわりもせん。だが、広床に座を賜るか、一同へ、床几しょうぎ をお与え給われい」
いい払って、彼以下も、突っ立ったままでいた。
すると、正面の床上しょうじょう に、侍臣数名、法衣ていの者二名を、左右において、じっと見ていた眸が、
種次たねつぐ先達せんだつ には床几を与えろ、その余の者へも、菅莚すがむしろ をやるがいい」
と、下の番将へ、しずかに命じた。
富樫左衛門泰家は、その者だなと、弁慶は、心のうちでうなずいた。
泰家の眼と、弁慶の眼とは、もう、無言のうちに、相 っていた。

『新・平家物語(十六)』 著:吉川英治 発行所:株式会社講談社 ヨ リ
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