── この辺で、と 麻鳥夫婦は、けさ、旅籠
でこしらえてもらって来た弁当を、ひざの上で解き合って、食べつつ、花をながめつつ、物も言わずにいたのであった。 「・・・・」 言わぬは言うにまさる、さほどな理解が、自然何十年もの間には、二人の仲に出来上がっていた。 今、お互いは、何を胸で想っているのか、たぶん、それも交響しあっているにちがいない。だから、飽くこともないのであろう。 ひと箸
、口へ運んでは、また手の箸を、しばらく忘れている。そして。蓬
は蓬、麻鳥は麻鳥で、 「ああ、ずいぶん、いろんなこともあったが、長い長い年月を、別れもしないで」 と、夫婦というものの小さい長い歴史を、どっちも、無言の胸に繙
いていた。 ── 思えば恐ろしい過去の半世紀だった。これからも、あんな地獄が、季節を措
いて、地へ降りて来ないとは、神仏も約束はしていない。 自分たちの粟
ッブみたいな世帯は、時もあろうに、あの保元、平治という大乱前夜に、門出していた。 ── よくもまあ、踏み殺されもせずに、ここまで来たものと思う。 そして夫婦とも、こんなにまでつい生きて来て、このような春の日に会おうとは、。 絶対の座と見えた院の高位高官やら、一時の木曾殿やら、平家源氏の名だたる人々も、みな有明
けの小糠 星
のように、消え果てしまったのに、無力な一組の夫婦が、かえって、無事でいるなどは、何か、不思議でならない気がする。 「よくよく、わたしは倖せ者だったのだ。これまで、世に見てきたどんな栄花の中のお人よりも。・・・・また、どんなに気高く生まれついた御
容貌 よしの女子たちより」 蓬は、やわらかな若草のすわり心地へ、こう、心で答えずにはいられない。 親しく、自分がお仕えした常盤
さまは、あのような御運の末だし・・・・。 そのほか、女院、姫宮、お局から、君立ち川の白拍子まで、およそ、美しいが故に、かえって呪
われ、あたら野山の草庵
にのがれて、黒髪をおろした花々なども、どれほどか、数も知れない。 「・・・・それなのに、わたしという愚痴な妻は」 彼女は、思い比べて、そっと悔やんだ。 もう鬢
も真白な良人の横顔へ、ひそかな詫
びも、胸でしていた。 けれど、彼女の良人にすれば 「それは、あべこべだよ」 と言いたいであろう。 ── 麻鳥の方こそ、じつは、この吉野へ来たら、老いたる妻へ、いちどは、男の本音として、 「よく、わしみたいな男に」 と、礼やら詫びを、言おうと考えていたのである。吉野の花を見せるよりは、ほんとの気持ちはそれだった。きょうまで何一つ、これという楽しみも生活の安定も与えず、雑巾
のように使い古してしまった妻へ、そして、わがままな男の意志へ、なんのかのとはいっても、よくついて来てくれた妻へ、彼はあらためて、 「・・・・・・」 何か、言ってやりたい。 けれど、そうした男の胸のものを、こっくり、言い表せる言葉などは、見つからなかった。真情とは、そんな簡単に、出して見せられるものではなかった。
── だから、さっきから、黙っていた。が、蓬には、良人のそうした気持ちは充分なほど分っていた。ふたりのひざをめぐって、陽炎
がゆらめいている。陽炎は、ふたりの言葉だった。 |