〜 〜 『 寅 の 読 書 室 』 〜 〜
 

2010/12/14 (火) 『新・平家物語 (十五)』 P−453 〜 P−457

ほどなく、一人の老尼が、そこを開けて、外の人々を見るやいなや 「・・・・あ?」 と、驚きしびれたように、ひざまずいた。
後白河は、老尼の背へ、 を落として、
「はて、見たような?」
と、小首をかし げて、仰った。
尼は、しばらくの間、御返事にも及ばず、とっさの驚きから めたあとも、さめざめと泣き暮れていたが、ややあって畏るおそ るお答えした。
「あまりに年月も 、姿も変わり果てましたゆえ、御覧ごろう じ忘れあそばすも、ご無理ではございませぬ。わたくしは、 少納言しょうなごん 信西しんぜい のむすめ、阿波あわ内侍ないし と申しまする。母は、紀伊ノ二位ノ局」
「おお、紀伊のむすめか」
後白河は、もういちど、おん眼をみはられた。自分の乳母めのと のむすめが、もうこんなにも、年老いていたのか ── と、そぞろわが身に過ぎた歳月も、振り返られたものであとう。
「・・・・女院は」
と、お問いになると、
「この上ノ山へ、花など みにと、、今し方、お出ましなされました。さても、おもいがけない御幸、夢でございますまいか」
と、内侍は、信じられぬことに直面したように、おろおろしつつも、すぐ山の方へ、告げに行こうとした。
後白河は、内侍をお止めになって、
「さは、驚かさぬがよい。しばらくは、まろも山路の疲れを、かなたで休めていようほどに」
と、あるじ の見えぬ 庵室あんしつ へ通られた。
内侍は、障子を引き開けて、卯月 (四月) も末の翠光すいこう 水声すいせい を、くま なく呼び入れ、池水に咲く紫や、まがき のつつじ、山吹、山藤やまふじ 、雪柳など、から 屏風びょぶ の絵のようなながめを、叡覧えいらんひら いた。
「オオ木立の様、閑居の清らけさ、寺房は寺房の山水せんすい ではあるが、さすがどこやら女性にょしょう の住まうおもむき なある」
と、法王は、それも御感ぎょかん の態であった。がなお、おん眼を凝らされたのは、朝暮ちょうぼ 、女院が平家一門の供養と、世の泰平を、御祈願あらせられるらしい、お勤めの座であった。
正面に、三尊さんぞん の像をおかれ、中の釈尊しゃくそん のお手には、五色ごしき の糸が懸けられてある。 ── いつ死なんとも、来世らいせ のみちびきは、まかせ奉らんと願う、引導いんどう の糸、誓いの糸とみえる。
方丈窓の下を見れば、そこの小机には、法華経、九帖の経巻などが、おかれてある。
しかし歌書はあっても、反古ほご の乱れは見えず、ちり だにない冷たさは、余りに世の外の物のようで、むご いばかりなきび しさと、あわれを、ひしと感ぜしめる。
また、ほの暗い、次の小間には、御寝所か。
荒壁へ寄せて、竹の竿さお衣桁いこう に、麻のおん衣、紙のふすま などが、懸けてあり、おん袖に、青い虫が一匹、ひげをふるわせていた。ほかにといって、何一つない。 ── かっての日には、唐衣からぎぬ袿衣うちぎ の袖に、幾重の色をかさ ね、綾羅りょうら の粧い、錦繍きんしゅうけん を競い合う、宮中の麗人たちの中にいてさえ、いつ、どんな所でも、見劣ったことのない建礼門院の、これが今は、御起居の物の、すべてであろうか。
「・・・・・・・」
法王は、触目の一つ一つに、お心を涙で刺されずにはいられなかった。治承、寿永このかた、いやそれより以前から、このような生贄いけにえ を、乱世の血の祭壇と魔神の前に、どれほど捧げて来たことであろうか。
ふと、御感慨もわく。
けれど、その乱世の雲の上に坐して、御自身が、どうしょ されて来たか、清盛をして、 「後白河の君こそ、希代きだい な政略家なれ」 と叫ばしめ、また、頼朝をしてさえ、 「大天狗とは院のことなり」 と言わしめた、御自身の内にあるもの、それへの御反省までは、思い及ばれもしなかった。
ただ、かえりみれば。
平治から幾十年のうちに、御血縁の皇族、寵臣ちょうしん外戚がいせき の平家、そのほか、無数の武者ばら まで、戦い戦い、ほとんどみな落花か血の泡沫ほうまつ とかき消えてしまったのに、御自身のみは、ひとり帝王の座も失われず、六十のおんよわい もなお矍鑠かくしゃく として、こう在ることが、極めて当然な、としていらっしゃる君王の常識のうちにも、多少、他へのあわ れを、お催しにはなるのであろう。わけて、 き御実子高倉帝のおきさき であり、清盛の一女であった女院へは、とりわけ、 憐愍れんびん の切なるものがあったには違いない。
── 山へ花摘みに行かれたという女院はまだお姿をみせなかった。が、後白河は むこともなかった。
何か、今日一日だけは、人界を離れて、人界の古往こおう 今来こんらい 、さまざまを、思い巡らすため、ここに置かれた様な心地でもある。
そにうちに。 ── ふと後白河は、たれかの眼が、ここの自分を、さっきからじっと見ていたことに気づかれた。それは、横の、ほの暗い壁に懸かっていたいち じく の童子像であった。
たれの筆に成ったのか、画像は、まぎれもない先帝 (安徳天皇)御影ぎょえい である。おん母の手で、今も朝夕、欠かすことなく、上げられているのであろう。供御くご膳器ぜんき 、花、香炉こうろ などが供えてあった。
後白河は、その似絵の眼と、御自分の眼が、ゆくりなく、出合ったような気はされたが、実の御孫にたいする愛撫あいぶ の情はわいても来なかった。かえって、何か、背すじへ寒さをお覚えになったらしく、あわてて、お眸を、外へそらした。
ちょうどその時、裏山からの小道を、ここへ降りて来る二人の尼僧が、かなたに見えた。よくよく御覧ごろう じあると、濃い墨染めの法衣ころも 、ま白な下重ね、ふと見違えられもするが、先帝の乳人めのと 大納言佐だいなごんのすけつぼね と、もう一と方は、まぎれもなく、後白河が、待ち久しげにお待ちしていた建礼門院に違いなかった。

『新・平家物語(十五)』 著:吉川英治 発行所:株式会社講談社 ヨ リ
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