〜 〜 『 寅 の 読 書 室 』 〜 〜
 

2010/11/25 (木) 『新・平家物語 (十四)』 P−227 〜 P−229

「それへ来たのは敵の源氏か」
突然、みよし一隅いちぐう で、こう烈しい声がする。
白い春の星影に、相互の輪郭が、おぼろげながら見てとれた途端とたん であった。
「おおさ」
声の下に、弁慶はやや前に躍り出て、
「これは、このたびの追討の大将軍げん 判官ほうがん 義経よしつね の殿にておわす。われは郎党の武蔵坊弁慶とは申すなれ。 ── すでに平家も今日の戦でほろ びつくし、一門泡沫うたかた し果てたるに、なお何者なれば、わずかな数をたの んでみぐる しゅうは潜みおるか。死に迷うているものなれば、いで、弁慶が死なしてくりょうず」
「・・・・・・・」
「それとも、力は尽き、海へも死ねず、ただ、命一つを助からんとする者か。降伏せんとの願いなれば、太刀長柄などの打ち物を積んでそれへ差し出し、同勢首をそろえていざ り出よ。そしてまず判官殿を拝したてまつれ」
と、誘った。
すると、静かな笑いを浮かべた顔がある。その一群れの一番前にいた大将らしき風貌ふうぼう の平家びと であった。もし衣冠せしめたら、いかに優雅で大どかな殿上人であろうかを思わせずにおかなかった。
「名ばかりは聞いておる。其許そこもと が九朗の殿の股肱ここう 、武蔵坊弁慶か」
声までが、まろみのある穏やかな響きを快く人に与える。
弁慶も、自然、あららかな語気も出ず、
「さなり。 ── して、そう申さるる和殿は」
「かかる姿となっては、いうも恥ずかしけれど、浄海じょうかい 入道清盛どのの四男、権中納言知盛ぞ」
「あっ、ではやはり」
「そこに、げん 判官ほうがん どのが見え給えるこそ倖せなれ。判官どにへ物申さん」
義経が、つと進んで、相手の へ、その全姿を与えたとき、知盛もわれから少し歩み出ていた。星明りの下、およそ十歩ほどおいて二人は相見た。どっちの顔もその夜の夜空のようにぬぐわれていた。なんらの敵愾心てきがいしんうら みを残している風ではなかった。
「権中納言どのとは其許にてあるか。さても、今日はよく戦われしも、おこころざし も空しゅう、さだめし残念なことでおわそう。 ── 名をいうも恥と仰せあったが、さすが入道どののおん名はけがし給わぬいくさ をなされしよ。義経こそ、ただ潮幸しおさち に乗って勝ったるまでのこと」
「その仰せ、勝者のお口より伺うこととて、一しおうれ しく存じ侍る。おなじ敗るるいくさほろ ぶ平家の運命さだめ ならば、其許そこもと のごとき大将の手にかかりしは、せめて一門の者にとっても菩提ぼだいたす けとなり申さん。この知盛までも、今は思い残す何事もない」
「いや、すがすがと仰せあれど、お心の底は察し入る。義経にさえ、恨み多き戦の始末であったものを。・・・・かなかり、罪なき人びとまでを、死なせんとは、本意でもなかったに」
「大きな時の巡りには、いつも伴う犠牲いけにえ と申そうか。人の子なれば悲しまれもする。が、春の末を去り行く花々、秋の暮れを吹かるる木の葉。平家の末も、あれと似たもの。今を境に、世は変わった。まったく、べつな人びとへと移って行った」
「とは申せ、みかどやら、尼のきみ やら、とが ともいえぬお人までを、無残な犠牲にえ となし奉り、義経すらも胸いた まずにいられませぬ。まして、其許には」
「そう仰せられては、つい涙に誘われる。・・・・が母の二位殿には、いかばかり、死なばや、死のみが恋しと、早くより仰せだったことかしれぬ。さだめし今ごろは、千尋ちひろ の波底に、安けきお顔を洗われておいでかと、この身までも、往生を得た心地がする。 ── ただ、なんとも、痛ましゅう存じ上げるは、幼い主上にましませど」
「ああ可惜あたら なことを。其許までが、このお船に来ておられながら、なんでむざたることを見過ごされしぞ。 せぬお胸かなと、義経すら腹立たしい」

『新・平家物語(十四)』 著:吉川英治 発行所:株式会社講談社 ヨ リ
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