〜 〜 『 寅 の 読 書 室 』 〜 〜
 

2010/11/07 (日) ベートーヴェンの生涯 (十)

ベートーヴェンは突如 『第五交響曲』 の作曲を途中で停滞させた。それは、下書きを幾つも作る彼の平生のやり方をしないで一気呵成に 『第四交響曲』 を書くためであった。
幸福が彼の前に現れかけていた。
1806年の五月に、彼はテレーゼ・フォン・ブルンスヴィックと婚約したのである。テレーゼはずっと以前から彼を愛していた。 ── それはベートーヴェンが初めてヴィーンに来た頃、ピアノの稽古を彼から受けていた少女時代以来のことである。ベートーヴェンは彼女の兄、フランツ伯の友人であった。1806年にハンガリアのマールトンヴァーザールで彼はブルンスヴィック家の客となったが、その時期にベートーヴェンとテレーゼとの間の愛情は深まった。
幸福なこれらの日々の思い出は、テレーゼ・フォン・ブルンスヴィックスの書いた二、三の話の中に記されてある。
「或る日の夕方、食後、月の光の中でベートーヴェンはピアノに向かって坐った。まず最初、手を鍵盤の上に平たく置いた。フランツと私とはこれがベートーヴェンの習慣であることを良く識っていた。彼は弾き始めるときいつでもそうするのであった。
それから低音の幾つかの和音アコードたた いた。その後でゆっくりと深い荘重な調子で彼はセバスチャン・バッハの一つの歌を弾いた・・・・ 『おんみの心をわれに与えんとならば、まずひそやかに与えよかし、われら互みに持てる想いを、何人なにびと をもさとらぬぞよき。』
私の母と牧師とは居眠りをしていた。兄は重々しく前方を見つめていた。私はベートーヴェンの歌と眼差なざしとに心をつらぬかれて、生命いのち が豊かに湧き上がる思いがした。
翌朝、私たちは庭園で出会ったがその時ベートーヴェンは言った。
『私は今、歌劇オペラ を書いています。主役の人物の姿が私の心に浮かんでいて、どこにいても、それが心にありありと見えています。今ほど心が高められているように感じていることはありません。一切が光です、清浄です、明るさです。今までの私は、小石ばかりを拾い集めていて、自分の路に咲いている輝かしい花に気づかない、あのお伽噺の中の子供みたいなものでした。・・・・』
私が親身しんみ に愛していた兄フランツの即座な同意を受けてベートーヴェンと婚約したのは、1806年の五月のことであった。」
この年に書かれた 『第四交響曲』 は、彼の全生涯の最も静穏なこれらの日々の薫りをとらえて漂わせている浄らかな一つの花である。そこに人が 「先人たちから手渡された音楽諸形式の中で広く知られかつ好まれているものと彼自身の独自の天才とを出来る限りよく調和させたいと思う当時のベートーヴェンの意向」 を見て採ったことは正当なことである。
恋愛に起因して生まれたこの調和的な意向は、また彼の動作や生活ぶりにも影響を及ぼしていた。
イグナッツ・フォン・ザイフリートとグリルバルツァーとの言うところによると、ベートーヴェンは陽気さに充ち溌剌として嬉しげで、才気爆発の風を示し、社交界の中で慇懃であり、面倒くさい連中に対しても気永に応対し、身装みなり を凝っていて、彼の聾疾を彼らがまったく気が付かない程度にまで彼らにイリュージョンを与えていた。
弱くなっている視力以外は健康状態はなかなか良好だった。その頃画家メーラーの描いた一肖像画 ──ローマンチックな洒落でやや気どっている一肖像画もまたそんな風な感じをわれわれに与える。
ベートーヴェンは他人の気に入りたがっている。また他人の気に入っていることを意識している。獅子が恋をしているのである。獅子は爪を隠す。しかもこんな戯れの背後うしろ に、 『第四交響曲』 の幻想と情愛との背後にさえ、恐るべき力、変わりやすい気分、激しい気性の伏在が感じられる。

『ベートーヴェンの生涯』 著:ロマン・ロラン 訳:片山 敏彦  発行所:岩波書店 ヨ リ
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