源氏の襲撃と、寝耳を驚かされたせつな、およそ平家の人という人が、きもをけしたばかりでなく、われを忘れて叫んだ声は、 「わ、和議とは、偽
りだったのか」 「卑怯っ。院も、御卑劣」 「あら無念、だまし討ちよ」 という恨
みだった。 とはいえ、天から降ったように感じた源氏の鉄騎は、目前に、わが陣地を蹴散らしている。 「女々
しと聞かれんは、口惜し」 と、平家の公達
ばらも、盾 に拠
り、馬にまたがり、しのぎを削って、坂東武者の太刀風へ身をさらした。 兵力では、平家は源氏の何倍も優位にある。ここの二陣地とて、いうまではない。しかし、地勢と時と心理とは、まったく、平家に不利だった。坂上からの不意打ちを低地に受けての戦いである。崩れ立つや、逃げ足は止まらなかった。そして、一たん敗勢を兆すと、味方同士の数の過大さがかえって混乱を大きくし、大将の指揮も叱咤
も、まったく効 いはなかったのである。 この有様を見、能登守教経は、 「あな、ふがいなき味方よ」 と怒って、薙刀
を打ち振い、東国武者二、三と渡りあって、たちどころに、中の一騎を斬り落とした。 そのすばらしい薙刀は、“龍炎
” という銘があって、よく教経の手に馴れている業物
だった。 「やあ、兄君はここを退けい。いては、かえって足手まとい」 彼は、龍炎に血を飽かせながら、幾たびも、乱軍の中で、叫んでいた。 事実、いたずらな味方同士の混乱と、狭隘
な地勢が、彼の働きまでどんなに不自由にしていたか知れない。 しかし、彼の兄三位通盛は、もうそれ以上に、なだれ打つ味方に巻き込まれながら、坂また坂の止
まりなき道を、十町余り逃げ降りていた。 そして、多少兵を集めうる平地を見ると、その通盛も、 「さは退
くな、止 まれ、止まれ」 と、備えを立て直そうとした。しかし馬も人も、後ろの怯
えと、山砂のすべりに駆られて、浮き足をつづけ、また思い思いに、小道へ逸
れたり、谷道へ影を沈めてゆく兵もあって、わずか十数騎が、通盛のそばを囲んでいたに過ぎなかった。 すると、坂の上から一群の東国武者が、 「見つけたぞ、あれなん三位
の君 」 とばかり、通盛を眼がけて、驀走
して来た。 そのまっ先にあったのは、もと平家の侍で、通盛の顔をよく見知っていた近江佐々木の木村源吾俊綱という者だった。 俊綱の郎党のほか、武蔵国の住人玉井四郎資景や、児玉党の面々
など、かれこれ十騎ほどが、 「よい敵」 と、功を争って、襲いかかった。 |