やがて、主の俊寛は、ころを見て、 「山荘のことです。なんの調いもありませんが、粗餐
でも」 と、密談の終わった機
に、座景を変えた。 今日ばかりは誰も、われを忘れて、討議に熟したあとなので、高坏
や折敷 を前にすえられると、にわかに、空腹を思い出したものらしい。 そのせいもあったろうか、杯の数も重ねないうちに、もう、したたかな酔いを顔に発している者も多かった。 法皇にも、数献をおすごしになり、龍顔をあさらかに、涼夜
の嵐気 と灯影の明滅に弄
らせ給うて、しきりに、左右の臣と、おん睦
みであった。 自然、一同も、興に乗じ、覇気
を昂 ぶらせれ、 「平家平家と、恐れるが、小松の内府
(重盛) は、近年、病がちだし、入道相国は、福原のみいて、とんと一門の内政さえ怠りがちという。・・・・そのはかでは、経盛、宗盛まど、人物は、格段に落ちるし、公達
輩 とて、みな華奢
風流 の真似びには賢げでも、これはと、優れてみゆる武将もおらん。──
まず六波羅を焼き、西八条を陥し、北面の武者に、大和源氏の兵をああせ、数日を待てば、諸州のお味方が、続々、院へ馳
せ参 ずるはあきらかなこと」 と、四隣への気兼ねもなく、大言し合った。 成親も、それに、気勢を添えて言った。 「いま、初めて打ち明けるが、もし、院宣な発せられて、都の内に、六波羅攻めの火を見なば、真っ先に、御門へ馳
せ参 ぜんという有力な武門もある。
── 老体の者ゆえ、そして、子弟や一族は、検非違使の要路や地方の守
を勤めているので、わざとこの席には、召されておらぬが」 「え、それは、たれですか」 人びとは、眼や、きき耳をそろえて、成親を見た。 「いや、その者の望みと、固い約束によって、今はいえぬが、平家討滅の御旗が、仙洞に翻る日には分かる」 「洛内に住む武門ですか」 「されば、都の人」 「もちろん、源氏ですな」 「かの為義や義朝にも劣らぬ源氏の家すじである」 「はてのう?・・・・」
顔見合わせながら、人びとはいよいよはばかりもなく、 「さては、近衛河原」の頼政どのか。または、他の源氏か」 と、あれこれ、人名をあげて、酒の肴のように語り騒いだ。 すると、席の角座
のいた、静憲法印が、 「あな、あさまし、天下のおん大事を、など、酒興には口走り給う。恐ろしさを知らぬ人かな」 と、一同の軽噪に眉をひそめた。 成親は、自分へ言われたように受け取って、さっと面を変えながら、 「恐ろしとは、平家のことか。法印の一言こそ、聞き捨てならぬ」 と、折敷
や高坏 の間をまたぎ、つと、静憲のそばへ行こうとした。 その弾みに、狩衣
の袖がかかって、らっきょう形
の素焼きの瓶子 (酒とくり)
が、ひっくり返った。 |