〜 〜 『 寅 の 読 書 室 』 〜 〜
 

2010/09/12 (日) 『新・平家物語 (五)』 P−366 〜 P−368

「や、や、これは」
「なんぞ、ふく物を」
「いや、懐紙など、あてよ」
流れる酒に、ひざ退き合うて、人びとがいい騒ぐと、法皇には、ふと、不吉な予感を抱かれたらしく、
「大納言、あれは、いかに」
と、お問いになった。すると、成親は、
「さん候う。 ── 平氏がたおれました」
と、いい澄ました。
当意即妙である。彼の気の利いた答え方に、満座の人びとは、手を打ち、ひざをたたいて、
「おう、申されたり、もうされたり」
「たおれしは、平氏かや」
「こよい、平氏たおれ候いぬ」
と、いっせいにはやした。
法皇も、すっかり、み気色を直して、
「みなよ、猿楽さるがく つかまつれ」
と、仰せ出された。
即興的な笑劇、即意と機知とを旨とする歌謡劇、それが、宮中の猿楽さるがく である、散楽さんがく ともいう。
平判官康頼が、つと、舞って、
「ああ、余りに、平氏の多くて候えば、酔うて候う。こう、わる うて候うぞや」
うた えば、それに謡い連れて、俊寛僧都も起ちあがり、おかしげな身ぶりで、舞に舞った。
「なんの、これしきの、平氏に酔おうぞ、など、これしきの」
「ならばとて、いかにせん、このめくるめ きを」
「おおさ、なお、呑みたらぬことにやあらん。── 呑まばや、平氏までを」
「酒は呑うだが、なお、平氏は減らぬげな。平氏を、呑むとは」
すると西光法師が、またその笑劇の中へ、加わって、
「呑むの、呑むのと、笑止なびと かな。平氏は、ちょう と、ただ首を取るには かじ」
と、瓶子へいじ鶴首つるくび を、太鼓のばち みたいなもので、ちょんと、たたき落とした。
笑劇には、おおむねこんなオチがつく。満座の拍手はくしゅ 喝采かっさい となる。即席の俳優は、道化身ぶりで席へ返り、左右の杯攻めに、面目をほどこしたみたいな心地に酔う。
遊戯のこと、闘争のこと、なぜか今も昔も、人間の業は、たいして違っていない。
余談にわたるが、
京都鹿ケ谷の現存の地は、別名を 「談合谷」 と呼ばれている。もし、この夜が、後白川と清盛との、融和ゆうわ への談合であったなら、そして、側近たちも、私心なく、平和への談合を遂げていたなた、以後の地上の様相は、まるで変わっていたであろう。すくなくとも、新大納言の非業な死や、また、俊寛などが、名も知れぬ鬼界きかいしま などを、見ることはなかったに相違ない。

『新・平家物語(五)』 著:吉川英治 発行所:株式会社講談社 ヨ リ