〜 〜 『 寅 の 読 書 室 』 〜 〜
 

2010/09/02 (木) 『新・平家物語 (四)』 P−122 〜 P−125

年は暮れて、仁安三年の初春の事である。
西八条から使いが来て、
ほとけ 御前ごぜん が、つれづれ に見ゆる。会いもしたいし、遊びに来よ」
と、清盛からの、伝言であった。
妓王は、腹が立つやら、口惜しさに、
「いやです、お伺いは、かえって、お目ざわりでしょう。それに風邪かぜ ぎみですから・・・・」
と、二度までの招きを断った。
彼女の母は、あとのとが めもおそ れたし、また、西八条殿が、思いなおされたのかもしれないと、さと して、気のすすまない妓王に、 って、化粧をすすめた。
「・・・・でも、一人ではいやです。いまさら西八条に伺うおもて もありません」
「妹の妓女ぎにょ を連れておいで、ねえ、気を取り直しておくれ、後生ごしょう だから」
母にそう泣かれると、妓王はもう何も言えない子であった。
家へ帰ってみると、父の良全は、まるで人が違っていた。女房泣かせの極道者ごくどうもの に成り果てている。
妓王が家に戻ってからは、自暴やけ がつのって、酒乱にはなるし、外で喧嘩はしてくるし、賭博仲間の借財に、首もまわらない有様である。── どこまで悲運な母なのであろう。自分は薄命でも、母は倖せにいるであろうと、西八条にいるうちも、それだけは、ひとり慰められもしていたのに、と妓王はやるせない虚無むなし さにとらわれた。
「・・・・では、お母様のためにと思って、一度だけは、お伺いします。その代わりに、妓女のほかに、妹の友達も二、三人誘ってください」
彼女は心を決めて、招きの日に、西八条へ出向いた、妹の妓女と、友達の白拍子たちと、四人が一つ車に乗って行った。はじ と肩身の狭さに、妓王は、いばら の門を通るような気がした。
やがて、大殿おおどの へ導かれたものの、かって彼女が召された辺りまでは、通されもしなかった。はるか遠い下床しもゆか に、座敷をさだめられて 「そこに、控えていよ」 と、家臣たちにさえ、冷ややかに扱われた。
仏御前は、清盛を責めた。
「せっかく、使者をやって、お招きしておきながら、座敷を下げて、あのいうに区別なさるのは、まるで恥をかかせにお呼びになったようなものです。妓王さまを、あのようにお扱いになるなら、わたくしもこの席にはいられません」
清盛は笑い出した。
「そなたは、まるで駄々っ子だな。妓王に会いたいというから呼んでやったのではないか、どうすればよいのか」
「わたくしと同じようにして下さいませ」
「では近々と、招くがよい」
仏の感傷にも、妓王の感傷にも、清盛はまるで無関心な様子だった。おかしいといえば、木の葉の舞うにも笑いこけ、かなしいといえば、花の散るにもすぐ涙をこぼす年ごろの女たちを、清盛は、しいて理解してみようなどとは、考えてみたこともない。
「妓王と、そこな白拍子ども、仏御前が、ああ申す。近くへまで、寄ったがよい。── そして仏のつれづれを、慰めてやれい。今様いまよう を歌うなと、まい を舞うなとして、いつも浮かぬ仏御前を皆して慰めよ」
正殿の清盛のわき細殿ほそどの にも、この日、公卿の客やら、一門の平家びと たちが、居流れていた。廊には、諸大夫や侍たちの顔まで見える。こういう中で、清盛は言ったのだ。 「仏を慰めよ」 と、そして 「客のために見せよ」 とは言っていない。
妓王は、床に手をつかえて、
「── かしこ まって候う」
と、小声で答えた。
面を下げたはずみに、こられていた涙が不覚にこぼれた。自分に虚栄はないと、つねに虚栄をさげす んでいたくせに、今の身のみじめさが、 い入るように、胸をかんだ。嫉妬しっとたぎ られる心の揺れを、どうしようもなくて、しばしそのまま姿を持ち支えていた。
「いかがいたしたぞ、妓王」
たれかの声に、耳を打たれた。妓王は、はっとわれに返って、はふり落つる涙もぬぐわずに、今様いまよう を歌った。

仏も昔は凡夫なり
われらもつひ には仏なり
いづれも仏性、 せる身を
隔つるのみこそ悲しけれ
ふたたび、三たび、くり返して歌ううちに、彼女のほお の涙は乾いた。かえって、聴き入る公卿や諸臣の眼に涙が浮かんでいた。
仏御前は、すすり泣いた。清盛もさすがにあわれを覚えたものか、もう舞えとも いなかった。別な部屋で馳走ちそう をさせ、引出物など種々与えて、夜にはいらぬうちに四人を返した。
『新・平家物語(四)』 著:吉川英治 発行所:株式会社講談社 ヨ リ
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