ここに、また一人、君立ち川に妍
を競 う百花のうちに、仏
御前 という可憐
な白拍子が、別な妓亭から現われた。 加賀ノ国鶴来
の里生まれで、年はまだ十六。早くから都の水にみがかれ、諸芸才能も、人なみすぐれて、宮中の校書
(官妓) にも、おさおさ負
けはとるまいと言われている。 「いや、おととしの秋、六波羅へ囲われた、あの妓王と較べても、仏御前ならよも見劣るものではない」 と、いう客も多かった。 かねがね、妓王を出した刀自の家に対して、猜
みを抱いていたその妓亭の主も、だんだんに高まる仏御前の評判には、大自慢であった。だがなんとしても、妓王とは格違いに見られる負
け目だけはどうしようもない。 そこであるおり、仏
へ言った。 「おまえの舞は、この町はおろか、京中一番の上手
なのだよ。けれど客の浮かれ男だけにしか知られていないから、世に聞こえもしないが、もし西八条殿 (清盛の新邸) 御感
にでもはいったら、それこそもう大したものだ。さきには、妓王でさえお目通りを得たのだから、おまえだって許されないはずはない。妓王に負けないほど、美しく粧
って、西八条へお伺いしてごらん」 仏御前は、事もなげに、 「はい」 と、畏
まって、その気になった。 彼女にはなんの欲望もない。ないゆえに、素直にうなずけもしたのであろう。ただ、乙女
なりの、舞の誇りがあるだけだった。 その日、今日を晴
れと粧 われた仏は、花やかな女車を、西八条の門に停
めた。 ころも、おととし、妓王が、六波羅を訪うたのと同じ初秋のころであった。 清盛は、今年の二月ごろ、太政大臣に任ぜられるとともに、六波羅の居
を、西八条へ移していた。 池ノ禅師の住居、御台盤所の園、また一門の居館やら、武者屋敷の大路小路など、いつの間にか、ここの宏大
な地区は、平家好みの大聚落
となっていた。── 古い平安都市と見比べると、諸門の姿も、屋造りも、庭園の模様も、人々の風俗も、すべてが古いものと、新しいものとの対照であった。はっきりと、時勢につれた文化の移り方が、ここへ来ると、目にも分かるほどだった。 「これ、これ、そこの車待て、どこへ通るぞ、そしてどこの者ぞ」 門の武者にとがめられると、仏は、車の上から、悪びれもせずにいった。 「わたくしは、仏と申す白拍子です。──
白拍子と生まれては、世のもてあそびものになるのは是非ない身の上ですが、ただ、今を栄えさせ給う西八条の大臣
に召されていないのは、なんとも本意
のう存じます。遊び者の慣
い、われから推参いたしたとて、何か苦しかるべきと、人の申すままに、こうはお伺いしてみた者です。・・・・どうぞ、相国
のおん前に、お取次ぎ給わりませ」 |