〜 〜 『 寅 の 読 書 室 』 〜 〜
 

2010/08/31 (火) 『新・平家物語 (四)』 P−114 〜 P−116

ここに、また一人、君立ち川にけんきそ う百花のうちに、ほとけ 御前ごぜん という可憐かれん な白拍子が、別な妓亭から現われた。
加賀ノ国鶴来つるぎ の里生まれで、年はまだ十六。早くから都の水にみがかれ、諸芸才能も、人なみすぐれて、宮中の校書こうしょ (官妓) にも、おさおさ けはとるまいと言われている。
「いや、おととしの秋、六波羅へ囲われた、あの妓王と較べても、仏御前ならよも見劣るものではない」
と、いう客も多かった。
かねがね、妓王を出した刀自の家に対して、そね みを抱いていたその妓亭の主も、だんだんに高まる仏御前の評判には、大自慢であった。だがなんとしても、妓王とは格違いに見られる け目だけはどうしようもない。
そこであるおり、ほとけ へ言った。
「おまえの舞は、この町はおろか、京中一番の上手じょうず なのだよ。けれど客の浮かれ男だけにしか知られていないから、世に聞こえもしないが、もし西八条殿 (清盛の新邸) 御感ぎょかん にでもはいったら、それこそもう大したものだ。さきには、妓王でさえお目通りを得たのだから、おまえだって許されないはずはない。妓王に負けないほど、美しくよそお って、西八条へお伺いしてごらん」
仏御前は、事もなげに、
「はい」
と、かしこ まって、その気になった。
彼女にはなんの欲望もない。ないゆえに、素直にうなずけもしたのであろう。ただ、乙女おとめ なりの、舞の誇りがあるだけだった。
その日、今日を れとよそ われた仏は、花やかな女車を、西八条の門に めた。
ころも、おととし、妓王が、六波羅を訪うたのと同じ初秋のころであった。
清盛は、今年の二月ごろ、太政大臣に任ぜられるとともに、六波羅のきょ を、西八条へ移していた。
池ノ禅師の住居、御台盤所の園、また一門の居館やら、武者屋敷の大路小路など、いつの間にか、ここの宏大こうだい な地区は、平家好みの大聚落だいじゅらく となっていた。── 古い平安都市と見比べると、諸門の姿も、屋造りも、庭園の模様も、人々の風俗も、すべてが古いものと、新しいものとの対照であった。はっきりと、時勢につれた文化の移り方が、ここへ来ると、目にも分かるほどだった。
「これ、これ、そこの車待て、どこへ通るぞ、そしてどこの者ぞ」
門の武者にとがめられると、仏は、車の上から、悪びれもせずにいった。
「わたくしは、仏と申す白拍子です。── 白拍子と生まれては、世のもてあそびものになるのは是非ない身の上ですが、ただ、今を栄えさせ給う西八条の大臣おとど に召されていないのは、なんとも本意ほい のう存じます。遊び者のなら い、われから推参いたしたとて、何か苦しかるべきと、人の申すままに、こうはお伺いしてみた者です。・・・・どうぞ、相国しょうこく のおん前に、お取次ぎ給わりませ」

『新・平家物語(四)』 著:吉川英治 発行所:株式会社講談社 ヨ リ
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