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2010/07/26 (月) 神戸散歩 布引の水 (三)

神戸には、人口島の南端にあるホテルに泊まった。
部屋に入ると、沖の只中に居るようで、気分がいい。町の方向を見ると、東から西へ連峰が緑におおわれて連なっている。東から数えると、六甲山頂、摩耶まや さん再度山ふたたびさん 、ひよどり越から市ノ谷に至るまでが一望の中にある。それらの山麓が、市街地になっている。市街地だけでいえば、東京の一区は二区ほどで、都市としてまことに適正な規模といっていい。
ホテルを出るとき、須田画伯に、
「布引の滝へ行きましょう」
と、言った。この都市を成立させている水源地の滝を見ておけば、私自身、神戸知らずながら、神戸の原型に触れる感じがするだろうと思ったのである。
神戸は、自然との関係においては奇跡のようなもので、布引の滝など、遠くにあるわけではない。
ここでは、新幹線の新神戸駅の背後 (北) まで山が押し寄せている。滝は、駅から北へ、直線距離三、四〇〇メートルほどの山中にある。
山道をのぼるうちに、山の中腹に展望台がある。四方は見えず、とくに背後は山壁やまかべ にふさがれていて、見えるのは、 がくれの海の光だけである。神戸ではたれもが港を見たがる。山手の異人館も、窓を港の方向に開いて飽くことなく港を見る。滝が名所の布引の山中の展望台ですら、港が見えるように仕つらえられている。美人というのは見られることによってつくられるというが、神戸港はそういう港である。
「港が、見えます」
須田画伯が、哲学的につぶやいた。
「見えますな」
と、答えると、
「百万ドルの夜景です」
と、言われた。いまは真っ昼間ながら、画伯には、夜景が想像できたのであろう。この人は、神戸の夜景の様々な山地から港と町の夜景を描いてきた。
布引の滝へは、ここから、岩場の間に造られたせまい石段を降り、岩場の根の小径こみち をくだってゆかねばならない。
石段を降りると、岩場のあちこちに歌碑がある。
この滝は王朝の頃から歌の名所になっていて、鎌倉初期の藤原定家ていか の歌もある。
私どもは、神戸市街地から言えば、空中にいる。小径はなにやら地の底まで下って行く感じがあるが、布引の滝のうちの 「雄滝」 については、枝道を右へ折れる。私どもは、標識どおり右へ折れた。すべて雑木林のなかである。どの葉も陽をはねかえしているなかで、わずかに合歓ノ木の花だけが、淡紅色の色どりをにじませていた。
『街道を行く・二十一』 著・司馬遼太郎 発行所:朝日新聞社 ヨ リ