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2010/07/26 (月) 神戸散歩 布引の水 (四)

枝道を下って行くと、樹間のむこうに滝の音がとどろきはじめた。ゆきどまりが、茶屋である。
崖にひっかかるようにして建てられている。茶屋の若草色の に、
「おんたき」
という文字が染め抜かれているところから、 たき は近畿の どおりおんたきと むのかもしれなかった。
茶屋から日本犬めいた尻のたくましい白犬が一頭、用ありげに出て行った。
たぎり落ちる雄滝を見るには、この茶店の手すりから身をのり出して右手を仰ぐようにせねばならない。京都の清水きよみず音羽おとわ の滝のようにほそ っぽいものかと思っていたところ、すさまじいばかりの瀑布だった。落下して滝壺にいたる高さは四三メートルあるという。
この場所からは見えないが、べつに夫婦滝、つづみ ヶ滝といった短い滝があり、下の方に一四メートルの雌滝が落ちている。布引の滝は、いくつかの滝が複合し、連動しながら、落ちてゆくのである。
雄滝は、垂直の落下ではない。
鉄さび色に濡れた山骨が、やや勾配こうばい を持ち、滝に させているような感じで水を落としてゆく。布引というのは、その感じから出た命名であろう。白いたえ の布をさら すような角度だから、布引かと思われる。平安朝の頃から京都の公卿くげ ・僧侶といった知識人が歌の名所にしていただけに、洗練された名前がつけられ、定着して行ったのであろう。
日本では、京都と東京の地名がいい。どちらも知識人が多く住んでいたために、符牒ふちょう めいた地名が少なく、歌や俳句になじみやすい。
布引の滝という名は、京都文化の延長の中でつけられた名と考えてよく、農民や が、仲間同士でわかりあえばいいだけの符牒としてよんでいた地名ではない。布引の滝のみなもと は、六甲山系の中のかわうそ いけ である。これは山で働く人々が符牒としてよんでいた地名であろう。神戸における他の水源地の名が、烏原、千刈せんがり であるというのも符牒めいており、また同じ山系のなかの とか、瓢箪池、阪急池とうのも符牒で、とても歌には読み込めるほどには洗練されていない。これによってみても、布引の滝が、いかにその鮮やかな名前によって滝という自然の生命が、人文的にも深めらてれきたかがわかる。
私が神戸へ行ったのは七月二十九日だが、この月のはじめごろはから 梅雨つゆ のため、各地で水不足の騒ぎがおこっていた。
淀川の源の琵琶湖も水量が減った上に、湖水の富栄養のために赤潮が出ていた。神戸に淀川の水を供給するのは阪神水道企業団で、この企業団から神戸市の 「船舶給水所」 が水を買う。船への給水は、各岸壁に設けられた五百四十五ヶ所の給水栓がこれを行う。この時期、神戸・大分の間を往復するフェリーで、
「神戸で給水された水が臭い」
という苦情が出て、このフェリー会社は就航四隻とも神戸で水を買うことを一時中止し、大分で往復分の給水を受ける事にした、ということが七月六日付の 『朝日新聞』 に出ていた。
神戸市水質試験所で検査したところ、琵琶湖の赤潮の影響による 「藻臭」 であるらしいということになった。コウベ・ウォーターの声価も落ちたものである。同十四日付の同紙の記事によると、船舶給水所の職員の談話として、

「混合率 (布引の水と淀川の水との混合率) ? よくわかりませんなあ。淀川から引いた阪神水道企業団の水に、布引の水がポタポタ、という程度だから。」
という記事が出ている。また市の水道全体の淀川への依存度は約八割だという。
しかし、巨大な岩の壁にとりまかれて落ちて行く布引の滝のさかんなありさまを見ていると、年間入港二億総トンという船舶への給水ぐらいはこの滝で十分ではないかと思えてくるのだが、技術上の複雑さとか、都市の水需要の巨大さというのは、素人の想像をはるかに超えるものであるらしい。
『街道を行く・二十一』 著・司馬遼太郎 発行所:朝日新聞社 ヨ リ