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2010/07/24 (土) 神戸散歩 布引の水 (一)

水は、 で飲むのも、酒 (西宮にしのみや宮水みやみず ) にして飲むのも、六甲山系から湧き出る水がいい。
当然、神戸の飲み水は、とびきりのものとされていた。酔って帰って水道の水をコップいっぱい飲む時の悦楽は神戸に住む者しかわからない、といった。
「いまは、ちがう。淀川の水だ」
と、この知人は言うのである。
彼によると、神戸の水を喜ぶのは酔っぱらいだけでなく、船もそうである。神戸に寄港する外国船の喜びは、水槽の水をから にして神戸の水をあふれるほど積むことだそうだ。
船乗りたちはコウベ・ウォーターは世界一だというが、おそらく本当だろう。
「それが、布引ぬのびき の滝の水なんだ」
と、彼は、いかにも滝の水を汲むかのような手ざわりのある感じで言った。厳密には布引の滝の少し上の布引貯水池からパイプで送られる水である。神戸にはあと二ヶ所貯水池があり、水質は同じだが、船に対してはとくに布引から送られる。つまり貯水池の浄化水がパイプで港まで直送されるといった仕組みで、今でもこのことは続いている。
布引の水は、六甲の老化した花崗岩層をくぐってきて適度のミナラルを含んでいるために旨いのだというし、また船が赤道を越えても旨さに変化がない、などとも言われて来た。
そういうコウベ・ウォーターについては、明治の頃は、
「水屋」
というものが活躍して、寄港する船舶に水を売っていた。
西宮をはじめ灘五郷にも、江戸時代、酒造家に水を売る 「水屋」 という商売があったから、水を売ることは、このあたりでは馴れていた。明治三十八年、市が水屋から権利その他を買いあげて、以後、神戸市が直営し、市の財源の一つになっている。
十年ほど前、山手やまて の洋食屋の窓ごしに、満船フル・バース の港を見ながら、神戸在住の友人からそんな話を聞いたとき、水を輸出 (?) するまちということに、詩情を覚えた。ちょうど、川西英の色彩版画を見るようにカラフルで、 で、童話的であるように思われた。
が、すべては の話である。
神戸の人口が膨脹し、いまでは滝の一筋や二筋で、まちや船の飲み水がまかなえなくなってきた。
「神戸の市民が、淀川の水を飲むようになったのは、いつごろからだろう」
と、右の山手の洋食屋での雑談の時、聞いてみた。
「戦後かな」
と、知人が言った。
「いや、昭和三十年ころかもしれん」
水というのは元来、あいまいなものである。話も自然そういうぐあいになって、とりとめもなくなった。
「ところが、同じ神戸でも所によっては、まだ布引の水を飲んでいるんだから、ぐあいが悪い」
と、いよいよややこしくなった。布引から港へゆく太い給水パイプのそばの住宅にはその水が給せられているというのである。
「これは、差別やな」
と、その友人は贅沢にも言った。淀川の水を飲むという事がそれほどよくないなら、私ども大阪の居住者は立つ瀬があるまい。
『街道を行く・二十一』 著・司馬遼太郎 発行所:朝日新聞社 ヨ リ