〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-T』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十四) ──
だんうら の 巻

2014/07/11 (金) くるま じき (三)

そのほか、沿道での小さい出来事や障害も一再ではなかった。
それやこれやで、列が羅生門に入り、いよいよ都の内、朱雀すざく大路おおじ へかかったのは、長い日も早や暮れ近いさるこく (午後四時) を少し過ぎていた。
── が。 「見ばや、平家の果てを」 「さしもの人びとの、捕われざまを」 と、揺れあう群集の厚みは、洛内の方が数倍だった。まるで人の海である。車騎の列も漂うに似て、行きつかえ、行きよどみ、遅々ちち として進まない。
ここでは、洛外と違い、群集の多くは、過去の是非を えて、あわれと、見る人びとが多かった。口には出さないまでも、かつては、六波羅の西八条の紋をめぐ って、生業なりわい を立てていた庶民が多かったのである。また、祖父のころから、平家に重恩を受けた家々でも、時の勢いで、多くがその子弟を、源氏の荷担人かとうど に差し出していたが、心の底では、旧恩を忘れず、そっと、涙を絞っていた者も少なくない。
とまれ、たれもが、感じたことは、
「むかしは、どんな者も、あも人びとの目の端にも入り、言葉の末にも、かか らばやと、ねが わぬ者はなかったのに・・・・。それが、このゆな有様を見ようとは」
と、いうことだった。
いや、それよりも、ここ に。
── そも、どんな御感慨やある? と問うてみたい見物人の一人がある。それはその夕、六条東の洞院とういん のほとりに公卿諸官とともに車桟敷くるまさじき を立て並べ、よそながら捕われたちの大路おおじ わた しを御見物しておられた後白河法皇のお胸の内であった。
さても、あわれな、と御覧じあったであろうか。あるいは 「・・・・かかる目を彼らに見せたのも、一端のとが は、われにもあること」 と、いささかな懺悔ざんげ でも、お胸の底ににじ ませられたことだろうか。はたまた、 「── これで し、もう平家の根は絶えた!」 と、あの大きなおんまなこ を、ひときわ、らんと見はって、すぐそこの夕やみを ぎり去った白い浄衣の影 ── まだどう に首のついている生けるかばね の群れやら幼い者の気配を ── 見ておいでだったであろうか。
とまれ、この法皇きみ の心は、一般人の規矩のり や常識でははか れぬものがあり、そのおりの、機微なお顔の動きなども、扇の骨に隠されてい、うかがい知るすべもなかった。── と、いうのは、骨のあら い扇子をお顔に当ててその隙間から、宗盛らの通るのを、御覧になっていたからである。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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