〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-T』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十四) ──
だんうら の 巻

2014/07/10 (木) くるま じき (二)

長い旅の山河を越えて来た、がたがたな囚人車めしゆうどぐるま は、すべて、べつな車と換えられ、入京のさい、宗盛にあれがわれたのは小八葉こはちよう の車であった。
網代あじろ の箱の横に、八葉蓮華はちようれんげ の紋が描いてある。
群集の眼にわざとさら させるためである。前後の簾は巻き上げられ、横の物見の簾も取り払われてある。
待ちかまえていた群集の前に、宗盛の姿は、ありありと箱の中に見えた。翼をかい合わせてまろ くうずくまった白鵞はくが か、白毛の生き物が、おり に飼われて、外の光を恐れてでもいるようだった。
衣服は、浄衣じょうえり とよぶ真っ白な狩衣かりぎぬ である。あの色白な肥肉ふとりじし とゆたかな体躯たいく の持ち主であった大臣も、すっかり潮風に せ黒ずんで、その人とも見えないほどであったとは ── 当時の状を のあたりにした人びとの手記にも見える述懐である。
また、宗盛の一子、右衛門督  え   もんのかみ 清宗きよむね (十七歳) も、同じ浄衣で、父の車の後から られた。
つづいて、平大納言時忠。主馬判官盛国などの幾輛いくりょう
間々に、女房車らしき車。一門の肉親たる僧都そうず阿闍梨あじゃり らしき沙門しゃもん の人の車。
だが、女房車の箱だけは、前後の簾を布に垂れ代え、盲車めくらぐるま にしてあった。
ここに、むご たらしく見えたのは、侍大将らの捕われであった。── 上総介忠光、源大夫李康、美濃前司則清などという二十数名の闘将である。おのおのの浄衣の上に縄目なわめ をかけられ、くら の前輪にしば られて、差し立てられた。
それらの武将には、傲然ごうぜん たるもあり、うなだれたままの面もあり、頬に刀傷のあと を見せて、さん たるほつれ髪を で上げかねているのも見える。
眼の前を、それらの姿や車騎が通り過ぎるたびに、群集の表情には、複雑な感動に揺れ、思わず声を沸き立たせた。 「・・・あわれやの」 と、涙を流し、 「なま じ、栄花の夢を見給える人ゆえ、生き恥のつらさも」 と、思いやるらしい眼差まなざ しもあればまた 「ざまこそ見よ」 と叫ぶのもあった。多かったのは 「平家の総領でありながら、一門とともに、死にもせずに」 と、宗盛をわら うきびしい声だった。
中でも、みぞ を隔てた路傍に、一群となっていた癩病法師かったいほうし らは、平家に恨みでもあった者たちか、来たらつば してやろう、泥土を投げて辱じしめてやらん、などと申し合わせていたが、狼藉ろうぜき に出る前に、警固の武者に追われて、たちまちどこかへ潜り込んでしまった。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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