2014/07/09 (水) 月(つき) な き 明(あか) 石(し) (四)
ところが、かなたの哀別も、他人(ひと) の身の上ではなかった。後に思えば、この夜あたり、すでに義経の手枕へも、やがての悲風が、そよと訪れ出していたのである。── 翌朝。都の留守に残しておいた一郎党が、迎えのため、福原まで駆け下っていたのに出会い、その者の告げによると、義経が上洛途上の間に、次のようなことが起こっていたという。鎌倉の、頼朝が、突如といってよい一令を発した。その要旨は、