四月も半ばに近づいて行く。 義経の陣した豊浦
の丘は、遠い昔、仲哀ちゅうあい
の帝と神功皇后との、仮の皇居であったとか。 ふもとから山の上へ、浜ノ御所、黒戸ノ御所、上ノ御所と、遺跡やら、祀まつり
の楼閣ろうかく 、寺々などが、木の芽め
みどりに煙ってい。小比叡という別名があるわけも、うなずかれる。 源平盛衰記にも、 |
“──長門ノ国にぞ着きにける。当国の国府には、三の御所あり、三河守
(範頼) は、この御所御所を見むとて、こよひはここに陣したり” |
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とあるのを見れば、先には範頼の軍勢も、ここに陣したことがあったらしい。 義経は、今日か明日かと、心待ちに、院宣の到るをここに待っていた。 その間、彼は、捕われ人に、能あと
うかぎりな寛度をしめした。── 都へひかれれば、たれかれ問わず、一様にきびしい衆目えお裁きの前に曝さら
される囚人めしゆうど 以外なものではない。 「せめて、ここにある日の、間だけでも」 虜囚とりこ
たちのためには、そう欲しいとしている義経も、堀川の留守を思うと、鶯うぐいす
の声も、藤ふじ の紫も、すぐ静への連想にむすばれてゆき、 「院宣の御使い、今日もまだか」 と、ややもすれば、季節の昼は、いらだたしい。 「──
殿」 「お、有綱なるか。何事ぞ」 ただ今、上かみ
ノ御所におわす女院の雑仕女ぞうしのめ
より、あわただしゅう、虜囚とりこ
の木戸守りへ」 「何か、告げて来たか」 「女院には、にわかなお病気いたずき
の由で、なんぞ、お薬餌やくじ
なり手当てのお情けを、賜わりたいと願うてまいりましたが」 「重げなる御容体か」 「しきりに顫おのの
き給うて、お熱の気け もただならぬとか」 「・・・・江田源三やある」 と、義経は、次の幕とばり
へ向かって、 「源三、赤間まで一鞭ひとむち
当てよ。赤間の施薬院における阿部麻鳥あべのあさとり
を、すぐ同道してまいれ」 と、いいつけた。 昨今、麻鳥は、赤間にいるものとみえる。 ── とすれば、屋島戦後と同じように、壇ノ浦附近の寺か民家をさっそく医療所としているのだろう。そして、源平の負傷者をそこに収容し、細民たちの施薬などもしたり、一切の世事雑音をよそに暮れているに違いない。 「行い
て参りまする」 江田源三は、馬を引き出し、遠からぬ赤間の町へ、すぐ急いだようであった。 「ともあれ、医師くすし
の麻鳥が来れば」 と、義経はそれを頼みに、源三の帰りを待った。 |