〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-T』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十四) ──
だんうら の 巻

2014/07/07 (月) にょ いんよし つね (四)

「時に」
わざと、相手の腰を折って、義経はたず ねた。
「── 先ごろの夜、其許そこもと の御陣へ、もと平家のまかな いを致しおったとかいう朱鼻と申す男が捕われて行ったそうな」
「むむ、御存知か」
「その男は知らねど、それを其許へ密訴したのは、吉次とかいう男とか」
「さよう。── とかいう男とは、ちとおとぼけが過ぎましょうがのう。あれは奥州の吉次、御宿縁浅からぬ者と聞き及ぶ」
「ではやはり、みちのくの吉次であったか。さりとは しい男も世にあるもの。この身が鞍馬くらま を去った日からはや十年の余ともなるに、なおこの辺りまで、そも、何しに?」
「何しにとは、この梶原より、判官どののお胸にこそ、つと におのみ込みあったことではないかの。・・・・と、梶原めは、拝察申し上げておったが」
「なんで知ろう。およそは、みちのくの秀衡が方寸とは思わるるが」
「はははは、お色気の多い奥州の鎮守府将軍が、やがては、さぞお気落しのことであろう。かく源氏の世と定まって」
「吉次は」
「大あわての様にて、北の国さして、舞い戻って行き申した。いやそれよりは、判官どのにも、御上洛あらねばなりますまいが、院より御下向の使いは」
「はや、近々と思う」
「それにつけ、これもまた、梶原の憎てい口とお聞きあるやもしれねど、途上、虜囚とりこ にたいしての余りな御寛度は、おつつしみあるよう願いたい」
「覚えないこと。なぜ、そのゆに言うか」
道聴どうちょう 塗説とせつ とやら、とるに足らぬ凡下ぼんげ のうわさを、そのまま聞くのではおざらねど、先ごろここへ移らるる途中にても、関の町にて、平家の女房どもへ、物代やら金などを恵まれたり、その女房たちと囚人めしゆうど 車の中の捕われどもとの泣き別れを、よそ眼に、わざわざ兵馬をとどめて休ませておられたりなど」
「どうして、それほどなことが」
「あいや、み気色けしき ばみ給うな。梶原とて人の親、血も涙もないではおざらぬ。・・・・が、そこがそれ凡下の口、とかく なことを申しふらしますのでな」
「いかなることをば」
「建礼門院が余りにお美しゅういらせられるのがわざわ い、いや、女院御自身ではなく、殿のおうえに」
「・・・・・・」
下種げす は言いたいことを言う。判官どのとて、わこ ういらせられる。女院はとりこ艶人あでびと 。よも、木竹きたけ にはあるまじものを、などと・・・・」
「言わしておけ。囈言たわごと に、戸は立てずとも、いつか末の様見て人も知ろう」
「とは申せ、ゆるし難い雑言。もし鎌倉表になど聞こえては」
「ははは」
こんどは、義経が笑った。
「たれがそのようなこと、真顔で受けよう。鎌倉どのとて、さまでおろかな弟とおぼ さば、なんでこのたびの大将軍をこの義経へお命じあろうや。・・・・あわよくば、さもしけんなどと、あらぬさぐ り心をめぐらす者は、これ梶原、其許そこもと ではないか」
梶原は、ぎょっとしたように、酒の色へ、なお血を加えて、どす赤い顔になった。
こんな要談外の雑談まで持ち出しながら、梶原はついに、肝腎なことは、義経へ語らず帰ってしまった。
義経もまた、しいて こうとはしなかった。
同陣の、しかも総大将と一方は軍監との、こうした溶け合わない、よそよそしさが、やがて明日へ何をわざわ いしてゆくか、思いやられることである。
義経が知るところでは、合戦後、梶原は二度まで、鎌倉表へ急使を出している。義経の公的な捷報しょうほう とは別にである。
初めの飛脚は、壇ノ浦直後に。
次には、特に腹心の家臣をやって、鎌倉殿へ直々、何事かを注進に及んでいた。
が、梶原は、まったく口をふいていた。およそ、おくびにもそれは出さずに帰った。
著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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