〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-T』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十四) ──
だんうら の 巻

2014/07/07 (月) にょ いんよし つね (三)

その日、義経の陣所を、梶原がおとず れた。
豊浦とよら の宮の浜御所で、二人は小半日、対談していた。
午下ひるさ がりに及んだので酒肴しゅこう も出た。
分捕りの船の処置、残党狩りの状況、赤間、文字ヶ関などの政治などのことが、用件の話題だった。
「いや、あわれとも、笑いぐさとも」
酒気に染まると、この老将は一だん調子もちがってくる。その本質の陽性と陰性の組み合わせの上に、陽性が幅をひろげだすものらしい。
「ま、聞かれよ、未聞みもん の話しだわ。・・・・近ごろ、関の港場には、夜々、美しい野遊女が旅人の袖を引きに出るという。聞けば、どれも必ず涙を流し、先ごろまでは平家に仕えて、やごとなきおつぼね の身近うにはべ りし者ぞや、というそうな」
うわさは、義経も聞いている。
それの何が、どこが一体、面白いのかと、義経は思った。梶原の年甲斐もない興がりの方が、むしろ、おかしかった。また “あわれ” という語の意味を、多用に使う男ではあると、その非情に腹も立った。
「・・・・するとのう、お互い、男の気心にはあるものだが、これや平家一門の室か姫君か、かかる高貴な女性など、世が世なれば、なんであだ し旅の男らに、肌もちぎ りもゆるされようぞ。やれ、戦ほどありがたきはなし、などとごと やら随喜の涙を流しての、ばかなことだが、磯の舟蔭も、草原の露のしとね も、玉楼ぎょくろう 錦帳きんちょうおご りかのように下種げす には思われるのであろうか。女に乞わるる物代ものしろ には裸にもなり、持つ金は惜しみもなく、くれて別れるという、もっぱらな評判だ。・・・・ところがなんと、本物の平家の女など、そうはおらぬわ。まれにはいようが、物売り花売りなどに見るほか、そうはいぬらしい。だが、さか しい根からの野売女どもが、あほうな男をしぼるには、その手に限るとばかり、みなにわかな都言葉を習い覚え、姿態しな さまざまにつくろうて、ここ赤間の夜は、平家女の巣のようになりおった。いやはや、残党狩りと事ちがい、その女どみには、手を焼かせられる。・・・・なぜならば、部下の兵どもが、東国の土産ばなしにとばかり、そのでき合いの平家女を、われも買わん、われも試さんと、さく を脱け出ては出逢いに行きおる」
要談はすんだにせよ、こうとどめない戯ればなしも、 が過ぎては興醒きょうざ める。── 都には待つ、しずか という者もある義経には、とりわけ可笑おか しくもなんともない。
著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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