〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-T』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十四) ──
だんうら の 巻

2014/07/04 (金) 花 さ ま ざ ま (二)

町中でも、この辺、わけてごみごみ建てこんでいた。裏は砂っ原で、貝殻を んだ雑草のむら が、四月の伸びをまだらにし、ついその先に、筑紫つくし 通いの船着き場がある。
戦後は、通い船ばかりでなく、諸国の荷船や兵船も始終着いてい、漁夫船頭の数ほど、武者の影も立ち交じっていた。従って旅人のふえたことも、つかえていたあくた が一時に流れを得たような景況だった。
「なあ、ほんとかよ。船島にいた芦屋あしや とかいう海女あま っ子が、たいそうな御褒美ごほうび をお陣屋からいただいたってえのは」
「芦屋ひとりじゃないとさ。串崎の海女あま 一同へも、彦島のおん大将から、手柄じゃと められて、米何十俵とやら、布何十匹とやら、御褒美が出たそうな」
「ええ、うらやましい。そんなことだったら、海女になりゃあよかった」
「何さ、うらやむことがあるもんか。海女がそんないい目に会ういなんて、一生一ぺん、龍宮りゅうぐう からたま を拾って来たような夢ばなしみたいなもんだよ」
「あたしたちだって、いい旅人でもつかまえればね」
「だめだめ、上り下りの男どもも、このごろは、ろくな物代ものしろ は持ってないし、国船の渡り船頭じゃ、食べも飲めもできやしない。あとは東国の兵だろう。あんなのお客にしたら、体が幾つあったって、足りはしないよ」
そこらの物売り小屋は、なべてかの女らの巣とみえる。かの女らとは、説明までもなく、港々には必ず見かける遊女なのだ。それも宿さえ持たぬ夜の女がこの赤間には、近年、季節の渡り鳥ほど群れていた。
二年越しの飢饉ききん やら戦乱が、自然、こうした飢えを、ここへかき集めていたのだろう。どの顔も、うるち を塗った鼠色ねずみいろ の白っぽさだが、とにかく口紅らしきものをつけ、よれよれな帯、小袖こそで を引きずり、そして、昼間の欠伸時あくびどき を、町屋のそこかしこで、買い食いしたり、ごとふけ ったり、明日の先を考えるでもなさそうに、さえずりあっているだけの群れに見える。
「おい、こっちへ来なよ、そこにいる綺麗な上臈じょうろう くずれの女子おなご のことさ。何してんだね・・・・そんなところで、ひとりぼっち」
女の一人が、ふと言った。小屋の横にむしろ が見え、今朝から死んだようになって動かずにいる女性がいた。ひざを抱えて、そのひざの上へ、面も黒髪も、じっと埋めたままという姿である。
「・・・・ふん。返辞もしないよ。お上品ぶって」
声をかけた夜の女は、仲間の女たちの間へ戻って、自分の親切が無視されたかのように、ぷんぷん言った。
「どうせ、あの女も、平家の落ちぶれだろうがさ、何も、返辞ぐらいしたっていいじゃないか。あたしたち同様な、ねぐら もない身になりながら、まだ、あたしたちを汚い者みたいに思っているんだよ。たんと、困ってみるがいいや」
「そうじゃないよ。あの上臈はね・・・・いいかしら、言っても」
「どうしたのさ」
「いつも、首斬り場になる原っぱめ。知ってるだろう。あの淋しいはん の木のある辺だよ。そこへ、夕べ五、六人の東国兵にかつ がれて行き、交る交るにあそばれたんだとさ」
「なアんだ、めずらしくもない。そんなことであの上臈は、死のうとでも考えているのかしら。・・・・あか じみてはいるけれど、地はよい着物を着ているし、顔だって、やっぱり都者は都者だよ。漁師かだれか、内儀かみ さんに拾ってやればいいのにね」
「そうはゆかないよ。それやあ、意地の汚い男はうようよいるだろうけれど」
「なぜ、拾い手もないのだろう」
「梶原さまの眼があるもの。高札こうさつ をごらんよ、高札を」
「あ、そうだっけ、そういえば二、三日前、生捕り人のさく を破って、大勢の平家の兵士が逃げたんだってね」
「だから、よけい、うるさいんだよ。平家に仕えていた者でも、女だけはまあ、お構いなしになっているんだそうだけど、それにしても」
急に、かの女らは、口をつぐみ合った。
船着きの方からも、界隈かいわい の露地からも、わらわらと、多くの人が往来へあふれ出て来たのを見たからだった。
あの女らも、一人残らず、破れびさし から飛び出した。
口々に辺りで言っているを聞けば。
大将軍義経以下、彦島にいた源氏が、豊浦へ陣を移すので、今、建礼門院をはじめ平家のたくさんな捕われびと たちも、車に乗せられて、ここを通る。行列はもう、小瀬戸こせと の渡しを越えたそうな。 「ほどなく見えようぞ」 「それを見なくては」 と、伝え伝えて、たちまちかき をなしていた群集だった。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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