彦島のある日、黄昏
の中だった。 旧ふる 御所の陣門へ大勢の海女あま
が来て寄りたかっていた。 赤間の埠頭ふとう
ではよく上下する船客につきまとう種々雑多な女が見られるし、時おり、島へもやって来るが、その種の女たちとは風俗も違う。 「こら、いつまで、がやがや立ち騒いでおるか」 柵さく
を守る雑兵は、さっきから、しきりに、追っ払っているのだった。 「最前、伊勢どのから皆へ、追ってたれへももれなく、御褒美ごほうび
が与えられよう、それまで、お沙汰を待てと申されたのが分からぬか。今日のところは一まず帰れ。立ち去れ、立ち去れ」 怒られると、その時だけは、きゃっきゃっと笑って散らばった。けれど、あちこちの柵の隙間へ佇たたず
んだり、無知な眼をしてのぞき見にうつつない姿は容易に消え失せない。 もっとも、彼女らにとっては、一生一度の幸運にぶつかったような昂奮にくるまれているのかも知れない。 沖の捜海は、毎日続けらてい、その日、彼女らの仲間のひとりが、神璽しんじ
の小筥こばこ (注しるし
の御筥みはこ )
を捜し当てた。もとより彼女らはなんの品とも知らなかった。ただ、捜海によって獲え
た物は、すべて伊勢殿の主船へ届け出よ、とある掟おきて
に従い、その通りにしたまでのことである。 武者たちでさえ、初めは何か分からなかった。 「何やら、貴重らしき物ではあるが?」 と小首を傾かし
げあったりした。伊勢三郎もその一人だが、思い当たって 「景弘どのに見せたら知れよう。安芸どのに見せん」 と、ほかの船から、すぐ安芸守景弘を呼んで鑑み
させた。 いうまでもなく、彼は平家の降将である。 もとより彼も平家に殉じる覚悟であったが、平大納言を船島の牢居ろうきょ
に訪うた日、時忠の言葉に深く打たれた。後の残ってしなければならないことが自分にはあると思った。故清盛の半生の結晶、あの厳島を、たれが守り伝えて行くか。 彼は、一子景信を安芸へ返し、伊勢三郎の許へ名のって出たのである。──
義経はすこぶる寛大な処置をもって彼を遇し 「そのまま、伊勢の手に付いて、宝剣ほうけん
と神璽しんじ を捜すために、お力を貸されよ」
と言っただけで、彼の名を、捕虜降人の簿ぼ
にも上げなかった。 景弘はその世職柄、神器の概念は知悉ちしつ
しているであろう。義経は彼を活かして用いたわけである。 今日、一海女が獲え
てきた筥はこ は、その景弘によって、
「神璽にちがいありませぬ」 と、証言された。捜海の船々は、色めき立ち 「あとは、宝剣一つ」 と、勇気づけられた。 だが、海女の一群れが、噪さわ
ぎ出したのはそれからだった。 「一人の功ではない、わしらの仲間で捜し当てたのだ」 だから褒美ほうび
は皆に分けてくれというねだりであろう。さっそく神璽を奉じて彦島へ急ぐ伊勢三郎を、小舟小舟で追い慕い、ついに義経の宿所の門まで、ぞろぞろついて来たものだった。 そこで、伊勢三郎は、無知な彼女らを、ねんごろに諭さと
して 「このうち、わが手で、捜し獲と
った者はだれか。その一名だけは、柵の内へ入れ。余の者は、追って、沙汰致すであろう」 と、旧ふる
御所の奥へかくれてしまったのだ。 残された海女たちは、株を奪われたような、また、仲間の一人に功を取られたような嫉ねた
さにも駆か られてか、なかなか去らなかった。しかし、やがて夜となり、不気味な篝かが
り火び をあたりに見ると、急にわが家を思い出して、いつか散り散り消えて行った。 |