〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-T』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十四) ──
だんうら の 巻

2014/07/03 (木) だんうら きゃく (三)

その日、範頼は、梶原などを交えて、約半日ほど、義経と戦後の策について、懇談していた。
そして、黄昏たそがれ ごろ、副将の義時をしたがえて、船でふたたび豊後へ帰った。
梶原景時の陣屋は、赤間なので、範頼を見送ってから、べつな小舟で帰るらしかったが、別れ際に、例のごとき軍監態度で、義経へくぎ を刺すように言ったことから、両者の感情が、ちらとまた、表面化しようとした。
「今日半日、ここにいて、平家の前内大臣以下、生捕りどもの扱いを見うけるに、ちとどうも、御寛大に過ぎはせぬかの。・・・・あれではまるで、客人まろうど 扱いと申してよい」
「梶原。どうせいと、其許そこもと は言うのか」
虜囚りょしゅう は、虜囚らしく」
「扱いは、いずれ院のおさしずと、鎌倉どののお達しを待つべきもの。其許の、とやこうは、僭越せんえつ であろう」
「はははは。九郎の殿には、御自身、都合のよい時だけ、院や鎌倉どのの御意向などと仰せられる。── およそ敵方の生捕り人であるからには、どうするかくらい、いちいち、おさしずを待つまでもあるまい」
「さればこそ、それぞれ幽所に めて、囲いを設け、きびしく番も付けてあるに」
「いや、形はそうでも、番の兵どもは、貴人に仕えるような物腰でおる。・・・・わけて、建礼門院へは、幾人もの女房たちまでかしず かせておき、まるで、以前のままな、内裏だいり 暮らしではあるまいか」
「hしと言い過ぎであろうぞ梶原。── ひとたびは、九重の宮に、おん国母とも仰がれしお方ぞ。今は、御子みこ のみかどを戦いに失わせ給い、身は海底に沈まれながら、武者の熊手くまで に救いあげられて、まだお人心地すら、ありやなしやのおん姿。・・・・看護みとり の女房たちをかしず けおいたとて、それがなんの、内裏暮らしか」
「ははは、お怒りあるな。そう、み気色けしき ばんで申されては、この梶原も、困り入る。おん美しゅういらせらるる若き女院、たれしも、あわれに思うのは一様であろう。いや、御親切なことよ、武士はそうありたい。・・・・したが、昔は昔、今日においては、故入道清盛のおん娘といえ、一門の捕囚以外なものではない」
義経は黙った。
彼と自分とは、根から考え方が違う。
たとえば、今も義経は、口にしかけて、やめたのだが。
梶原は、名もない捕虜は、つぎつぎ斬ってしまう方針である。
彼に言わせれば、この地方は、千年来の飢饉ききん である。捕虜を食わせておくほどな軍糧はない。良民すら食えない者が多いのになんで、という反論なのだ。
── ならば、捕虜の名もないやから は、それを解いて、おのおの郷里へ放ち帰すべしと、すすめたが、それも梶原は、うけつけない。
かかるさいに、彼らを解き放したら、必ずとう に変じるにきまっている。また、山野へ潜んで、他の残党どもをかたらい、反挙を企むか何をやるか、知れたものではない。そのような後日のわざわい が予想される如き策は、断じて取らぬところであると言うのだ。
理は整然と立っている。
けれど、義経はそこに悩む。敵味方の線はもうないのだ。戦いは終わっている。さば きは残っていても、人間と人間との、心のいたわ りあいは、ゆるされていいはずだ。── いやそれがなかったら、地獄へ続く地獄であろう。勝者は地獄の邏卒らそつ というだけのものでしかない。
しかし、そこを梶原と言い争えば、彼との考え方の相違を、一そう深めるばかりだった。ひいては、ここ大事な時に、いろいろな支障が起こらずにいないであろう。── 義経には、そう思われた。おそ れられた。── で、今も口をつぐんでしまったのである。
梶原は、言うだけのことを言ったつもりか、
「いや、お気にさわ られな」
と、床几しょうぎ を立ちかけ、
「君、御若年なれば、御注意までに申し上げただけのこと。公私のけじめを失うて、私情にみだ るるようなことでは、鎌倉どのの御意にもとろう。いずれは皆、男女を問わず、御成敗と決まっておる平家の生捕り人ども、なま なかな情けは、かえってあだ でおざろうよ」
老人のずる さと言おうか、その後を笑いにまぎらせ、梶原は、自分だけはひとり機嫌をよくして辞し去った。そして彼の小舟も、夕波の上を、赤間の方へかす んで行った。
「さても、悩みは知らぬ男かな。うらやましい梶原・・・・」
義経は苦笑した。おあなじ武門に生きても、梶原のようになれぬ自分をあわ れとも思う。
いつか、ふる 御所の内は夜だった。虜囚の囲いや、女院の幽所の方にも、淋しい灯影が、点々と配られている。多感な彼には、その灯の一つ一つにすら、人間の悩みや悲愁ひしゅう がすすり泣いているかのように見えてならない。
やがて、彼は黙々と、虜囚の囲いの方へ歩いて行った。平家の捕われ人たちの、夜の様はどうか。食物、夜具よのもの 、身まわりの物、不自由はないか。せめて、言葉の上だけでもいたわ ってやりたいものと、そっと、その囲いを見舞うべく、静に足を向けたのだった。
著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
Next