〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-T』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十四) ──
だんうら の 巻

2014/06/30 (月) うつつゆめ (二)

崖の家から捕えて来たと見える一人の大男を、縄目なわめ にして追いたてて来たのだった。
男が、何か喚くと、足蹴あしげ をくれ、罵詈ばり を浴びせ、やがて、折檻せっかん が始まっていた。
「名をいえっ。まず、名をぬかせ」
責められると、男も、逆上して えた。
大宰府だざいふ へ帰る旅の者だ、名をいうほどな者じゃない」
「いわぬな、うぬっ」
「なんでそのように、人を足蹴にするのだ。意地でも言わぬ」
「ようし、これでも」
「あっ・・・・」
「よせ、もうよせ」
声が代って、べつな武士が、責め手を代えているらしく、またののしり出した。
「こらっ、つまらぬ意地は張らぬがいいぞ。── たっら今、梶原どのの陣屋へ、うぬの隠れ家を、訴人そにん して来た者があるのだ」
「や、訴人した者があると。ど、どんなやつが」
「たわけめ、なんじの名は、その顔の真ん中の物が、はっきり証拠立てているではないか。朱鼻あけはな だろう、おのれは」
「げっ」
「朱鼻の伴卜とかいって、公卿下臈げろう から、小店こだなあるじ となり、六波羅に取り入って、次第に清盛公の内ぶところに用いられ、さんざんうまい汁を吸ったやつだそうだな」
「・・・・ううむ、そう知られては仕方はない。いかにも、おれは伴卜だが、いったい、密訴したのは何者か。そいつの名を聞かしてくれい」
「だまれ、確かに、なんじがとう の伴卜と知れさえすれば、おれどもの用はすむこと。やい者ども、こいつを馬の背にくくし付けて、すぐさま御陣屋のさく へ追っ立てろ」
「ま、待ってくれ。それならこの伴卜から言ってみせる。密訴したやつは、狼面おおかみづら した背のひょろ長い男だろうが」
「ええい、世迷よまごと など、聞いているひまはない。起てっ」
つかみ上げて、武士たちは、彼の体を、馬の背へ押しあげた。
鼻は、無念そうなもがきを体に見せ、馬の上からも、憤怒をわめ き続けていた。
「ち、畜生。密訴したのは、今日まで、おれと一つに潜んでいた男だ。奥州へ逃げる行きがけの駄賃だちん に、梶原どのへ密訴して突っ走ったに違いない。ええ、吉次めに、一ぱい食ったか。あいつこそ、源氏の不為ふため を働いたやつ、おれをしば るなら、なぜ吉次も縛らぬ。吉次を捕まえろ、吉次も捕まえてくれい」
「やかましい。いい分あらば、梶原どのの前で吠えろ。それっ、早くやれ」
馬のしり を打つような響きがする。
たちまち、数騎の中におっ取り囲み、徒士かち も一団になって、山下の方へ駆けなだれて行った。
著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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