〜 〜 『 寅 の 読 書 室 Part V-T』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十四) ──
壇
(
だん
)
ノ
浦
(
うら
)
の 巻
2014/06/29 (日)
壊
(
こわ
)
す
人
(
ひと
)
び と
建
(
た
)
て る
人
(
ひと
)
び と (三)
だが、直接の工に当って、
鋳造
(
ちゅうぞう
)
の指揮をした功労者は、
宋
(
そう
)
の巨匠、
陳
(
ちん
)
和卿
(
なけい
)
という宋人であった。
鋳物
(
いもの
)
の
技
(
わざ
)
ばかりでなく、陳和卿は、
伽藍
(
がらん
)
建築にもあかるいので、彼のみはなお、奈良にとどまり、つづいて
大仏殿
(
だいぶつでん
)
の
普請
(
ふしん
)
の設計にあたっている。
だが、数年前に、彼が自国から連れて来た宋人
鋳物師
(
いものし
)
七十余人のうちには、もう、望郷の念にかられ、しきりに帰りたがる者も多い。で、約半数以上が、ひとまず、帰国の途について来たのだった。
「・・・・はや、多くを申すまでもありませぬが」
と、使者の親経は、終わりに言い足した。
「それらの、宋人たちは、みな大功ある
工匠
(
たくみ
)
ゆえ、院も厚くおねぎらいのうえ、多くの礼物など賜い、かつまた、われらに見送りの使節を命ぜられた次第です。で、この二月初め、都を立ち、
周防
(
すおう
)
の国境まで参ったところ、合戦のため、途はふさがれ、博多ノ津まで行くなどは、しょせん、
覚
(
おぼ
)
つかなしと止められました。むなしく、赤間ヶ関の外にて待つこと十幾日、ようやく、戦も
熄
(
や
)
んだと聞いたので、やれうれしやと、今日赤間の町へはいって、ひとまず臨海館の
址
(
あと
)
を宿所といたし、一同休息いたしておりまする」
「さても、お使い大儀。さだめし途上多くの
難渋
(
なんじゅう
)
を見たことでおわそう」
義経も心から、同情してこう言った。
「── 日ごろ、
渡宋
(
とそう
)
の役をする
大宰府船
(
だざいふふね
)
をはじめ、筑紫の浦々の船は、なべて合戦に狩り集められたゆえ、博多ノ津にも、おそらく巨船はありますまい。さっそく義経が手にて、軍中の唐船一艘を仕立て。
米塩
(
べいえん
)
など万端な物も載せてまいらせる」
「やれ、おことばにて、ほっと致しました。御陣令のほど、いかがあろうかと、憂い顔を寄せ合うている宋人たちも、それを聞いたら、涙をたれて、歓びましょう」
「御一行は、何人ほどか」
「宋国の人、三十八名。ほかに都より連れ参った
荷駄
(
にだ
)
やら、小者など、あわせて五十名ほどの同勢にござりまする」
「長途の旅のうえに、おりふしこの戦場のあと、さだめし異国の人びとには、心細いことであろう。かつは食べ物やら
夜具
(
よのもの
)
にも不便なことと察しやられる。さっそく義経自身、それへ臨んで、何かの指図、また何かと、慰めてやりたいものよ」
思い立つと、彼は早い。
有綱、忠信、ほか十名ほどの郎党を連れ、二人の意志者を先に、すぐ関の山手へ、急いで行った。
が、それより先に、梶原の部下の手で、臨海館には、夜の灯が各所にともされてい、そこの異国の客は、ただ騒然と、渡航の船の吉左右だけを、待ちわびている様子であった。
著:吉川 英治 発行所:株式会社講談社 ヨリ
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