すると、静かな笑いをうかべた顔がある。その一群れの一番前にいた大将らしき風貌
の平家人へいけびと であった。もし衣冠せしめたら、いかに優雅で大どかな殿上人であろうかを思わせずにおかなかった。 「名ばかりは聞いておる。其許そこもと
が九郎の殿の股肱ここう 、武蔵坊弁慶か」 声までが、まろみのある穏やかな響きを快く人に与える。 弁慶も、自然、あららかな語気も出ず、 「さなり。──
して、そう申さるる和殿は」 「かかる姿となっては、いうも恥かしけれど、儂み
は浄海入道清盛おのの四男、権中納言知盛ぞ」 「あっ、ではやはり」 「そこに、源判官げんほうがん
どのが見え給えるこそ倖せなれ、判官どのへ物申さん」 義経が、つと進んで、相手の眸め
へ、その全姿を与えた時、知盛もわれから少し歩み出ていた。星明りの下、およそ十歩ほどをおいて二人は相見た。どっちの顔もその夜の夜空のようにぬぐわれていた。なんらの敵愾心てきがいしん
や怨うら みを残している風ではなかった。 「権中納言どのは、其許にてあるか。さても、今日はよく戦われしも、お志こころざし
も空しゅう、さだめし残念なことでおわそう。── 名をいうも恥と仰せあったが、さすが入道どののおん名はけがし給わぬ軍いくさ
をなされしよ。義経こそ、ただ潮幸しおさち
に乗って勝ったるまでのこと」 「その仰せ、勝者のおくちより伺うこととて、一しお欣うれ
しく存じ侍はべ る。おなじ敗るる軍いくさ
、亡ほろ ぶ平家の運命さだめ
ならば、其許ごとき大将の手にかかりしは、せめて一門の者にとっても菩提ぼだい
の扶たす けとなり申さん。この知盛までも、今は思い残す何事もない」 「いや、さすがと仰せあれど、お心の底は察し入る。義経にさえ、恨み多き戦の始末であったものを。・・・・かばかり、罪なき人びとまでを、死なせんとは、本意でもなかったに」 「大きな時の巡りには、いつも伴う犠牲いけにえ
と申そうか。人の子なれば悲しまれもする。が、春の末を去りゆく花々、秋の暮を吹かるる木の葉。平家の末も、あれと似たもの。今を境に、世は変わった。まったく、べつな人びとへ移って行った」 「とは申せ、みかどやら、尼の公きみ
やら、科とが ともいえぬお人までを、無残な犠牲にえ
となし奉り、義経すらも胸傷いた
まずにいられませぬ。まして、其許には」 「そう仰せられては、つい涙に誘われる。・・・・は母の二位どのには、いかばかり、死なばや、死のみが恋しと、早くから仰せだったことかも知れぬ。さだめし今ごろは、千尋ちひろ
の波底に、安けきお顔を洗われておいでかと、この身までも、往生を得た心地がする。・・・・ただ、なんとも、傷いた
ましゅう存じ上げるのは、幼い主上にましませど」 「ああ可惜あたら
なことを。其許までが、このお船に来ておられながら、なんでむざたることを見過ごされしぞ。解げ
せぬお胸かなと、義経ですら腹立たしい」 |