船外では源氏の兵が、救助の掃海に、潮騒
をあげていたその間、当とう の船御所の内では、さいごの大詰めへまで来た戦いの息の音に、まだ、とどめは刺されていなかった。 二十余年の栄花と権力とを、ともあれ地上に持った一門は、この破れ船一つにまで、姿を変えた。ここにいた男女の平家人も、例外なく、一刹那いちせつな
に海の底に消え、みずから刃に伏し、青々とほの暗い夕べの気配のほか、今は人気ひとけ
もないような船上であったが、なお、どこかには、平家終焉しゅうえん
の切なげな喘あえ ぎがしているようであった。 「・・・・・?」 義経が、ここに立ったのは、たった今のことである。 意外な船内の静けさに、はっと立ち竦すく
み、 「しまった」 と、思わずの茫然ぼうぜん
を、どうしようもなかった。 彼としては、予期しない光景であったとみえる。── 戦いに捷か
ち、都への凱旋がいせん の名分さえ持つならば、こうまでに徹底的な処置を敵に下そうとは、初めから、思いもしていない彼なのだ。 「おお、殿には、ここでござりましたか」 後から来た弁慶がすぐ駆け寄って来る。 つづいて、忠信の声も、後ろに聞こえた。 「殿っ、御油断なされますな。寂せき
としてはおりますが、かなたの舳みよし
には、まだ、平家武者らしき一群れが、じっとうかがい澄ましておるらしい様子。船屋形にも船底にも、なお、いかなる敵が隠れおるやも計られませぬ」 「なに、まだ生き残っていた敵がおると?」 一途に、弁慶が躍って行こうとした時である。賢所かしこどころ
の蔭でたれかが 「あ── 」 と、声を放ち、駆け出して来て 「しばらく」 と、弁慶を止めた。 「や、時忠の卿きみ
と、讃岐どのか」 その時忠父子は、弁慶を措お
いて、まず義経の影を見探していた。そして、 「そこにおわすは、判官どのよな」 と、すぐ前へ来てひざまずいた。 義経は二人を凝視した。──
特に、時忠の顔を、しげしげながめて、 「めずらしや、大納言どのか」 と、言った。── 所も所、境遇も境遇、七年前の彼と我とは、まったく逆な立場になっている。 義経は、感慨に打たれたが、しかし今の時忠には、そんな回顧など、面にも見せていなかった。 「さても、残念なこと。この時忠なり、判官どののお越しが、もう一足早かりせば、手の施しようもあったものを。・・・・まこと、わずかな手違いにて」 かれも、義経と同じ落胆に、茫然ぼうぜん
としていたのか。すぐそれを言った。 「・・・・では早や、みかどの玉体とともに、神器も海の底へ?」 「いや、神鏡みかがみ
の唐櫃からびつ のみは、からくも、取り抑え置きましたが」 「ほかの宝剣と神璽しんじ
の二つは」 「残念ながら行方も知れませぬ。自分がこれへ参ったときは、すでに仮設かりもう
けの賢所かしこどころ の御扉みとびら
は破られてい、残されていたは唐櫃からびつ
のみ・・・・」 「ああ、三種ノ神器のうち、ただ一品が無事か」 「時実をもって、あのように、誓書をおせがみ申し、その誓書も賜わった上からはと、一念、神器の隠滅を阻はば
め、つつがなくお手渡し申さんと心をくだいたことではあったが」 「ぜひもない。おたがい、善意と手段は尽くしたことだ。これが、神慮というものであろう」 「おわびのほかはおざらぬ。ただこのように」 「なんの、神鏡みかがみ
だけでも、とどめ得たのは、御父子の手柄よ。義経ひとりの計策はかり
であったら、おそらく、それ一つだに獲と
り回かえ すことはむずかしかったに相違ない」 「おことば、なお辛つろ
う覚える。・・・・手違いの因は、妻の帥そつ
の使いが、意外に遅かりしため、御船勢への飛牒ひちょう
も、われらの推参すいさん も、わずか一歩なれど、時を失うていたのであった。・・・・まことに不覚、その罪を、妻の帥そつ
も、あれにて、泣きわびていたところなので」 時忠の言に、人びとは、眼をほかへやった。 |