この時どこかで、凄
まじい武者声がし、続いて、ずずんと、烈しく船が震ゆ
れた。船じゅうの絶叫は 「敵ぞ」 「東国武者が襲よ
せたるぞ」 という以外の声ではなかった。 船底の暗がりにも、女性の叫びが起こっていた。女童めわらべ
も交まじ え、そこの穴口から外へ、いちどに、黒髪と裳も
の女房たちの群れがあふれ出て来た。まろび合い、すがりあい、泣き伏す人の上に、おり重なって泣いた。 悲泣といっても、号泣といっても、いい足りるものではない。彼女らは、こうなるとは思わなかった。なお何か一縷いちる
のものに、望みをかけていたらしい。── みかど、女院、帥そつ
ノ局つぼね ── などを力として。 だが、一瞬の様相は、破滅以外のものではなかった。
「疾と う疾と
う、みかどを、尼公のお手に」 と、むごい、冷たい叱咤しった
が、事もあろうに、衛士の大将から叫ばれたりしている。 動顛どうてん
せずにいられなかった。悲しさの限りを咽むせ
び上げずにいられなかった。わが身の死は、ともかくである、彼女らとて、それまでには未練は持たない。むしろ、女性特有な心定めは、武者よりは迷いのないものがあったかも知れないのだ。彼女たちの慟哭するわけは、おいとけない白珠しらたま
のような無邪気なみかども、世の薄命を身一つにあつめておいでのような建礼門院も、ついに、ご最期さいご
のほかはないのかということだった。 同時に、自分たち身につばがる幼い者、死なせたくない者への、絶望もともなった。 「── 西の空、かなたの美しさを、御覧ぜられり。西方の浄土とは、かしこ。極楽の浄土とも申しまする。そこの久遠くおん
の命のたのしみは、人の世の都どころではありませぬ。なんぼう、苦患くげん
も悪業あくごう も知らぬめでたき都やら知れませぬ。・・・・いで、尼が、お道しるべしてまいらせん。御子みこ
さま、こう、尼にお倣なら い遊ばせや、おん掌て
を合わせ、おねんぶつを仰せられませ」 尼のそばには、もう、そこへ誘いざな
われて、抱えるように立たせられたみかどのお姿が、おぼろに見えた。 山鳩色やまばといろ
の御衣ぎょい に、お髪ぐし
はみずら・・・ に結わせ給い、つねの御癇症ごかんしょう
や、だだっ子の、み気色もなく、ふしぎとお素直に、うなずいていらっしゃる。そして尼のするとおりに、小さいお掌て
を合わせられたようだった。とたんに、あっ ── と小さい叫びがし、お姿は、尼の体と一しょに、この世と、海づらの間を、さっと翻ひるがえ
りつつ、沈んで行った。 「さらば、おさきへ」 つづいて。経盛が、いとも淡々たる容子で、よろい姿に、僧衣の袖を、羽のように夕風に吹かせ、ざんぶと、永別の波音を下から告げた。 「さらば」 「──
さらば」 ひきもきらず、ひとびとの入水する白い飛沫ひまつ
と水音だった。その間、二位ノ僧都そうず
、法勝寺ノ能円、律師りっし 仲快、裕円など、数珠じゅず
を揉も んで、声高らかに、読経をつづけていた。 ──
ひと群れの花束とも見える女房たちに取り囲まれて、建礼門院も、さっきから、涙に濡れもだえておいでのようであったが、とつぜん、彼女らの手を振りもぎって、裳も
やお袖の色を、夕虹ゆうにじ のように逆しまにひき、あなと見る間に、波騒なみさい
の底へ、姿を消しておしまいになった。 「あれっ・・・・。女院さま」 帥そつ
ノ局つぼね は、叫んだ。われを忘れて、 「女院さまが。たれぞ、早く」 と、賢所の方へ、走った。 すでに、源氏武者が、船内を駆けまわってい、中には、義経の姿もあった。 義経は、さっきから、舷側げんそく
の下まで来ていたのだが、つぎつぎの抵抗に出会い、たった今、躍り上がって来たのであった。 すでに、人影少ない船内の状を見、また、帥ノ局の叫びに、耳をつんざかれて、 「しまった。ひと足、遅かったような?」 と、残念そうに、そのまま、立ち竦すく
んでいたのであった。 |