兵はただちに、船上の
“死の清掃” にかかった。 知盛はまた、尼の前に来て別れを告げた。母と甘え、子として、慈
まれて来た三十余年の絆きずな
は今、知盛の胸をずたずたにしているに違いない。 だが、知盛は尼へ、静に、死の支度をすすめていた。尼も乱れはしなかった。いや、この子がいて、こうしてくれるので、今は死にやすいかのように、うなずいて見せた。──
世に疲れたこの母が、一番望んでいるのは、少しも早く、亡な
き良人おっと のそばへ行きたいという願いのほかでないことを
── 知盛は疾と く察していた。いや尼自身から聞いてもいた。 「おん供には、一門のたれかも参りましょうが、知盛もまた、お後からすぐ、死出の道を御一しょにいたしまする」 知盛が言うと、それまで、黙然としていた叔父の経盛が、 「否々、おん供は、賑わし過ぎるほど、大勢おる。──
なお行く手の冥府よみのふ には、故清盛公、重盛の卿きみ
を始め、孫の維盛卿これもりきょう
やら、門脇かどわき どののお子の通盛みちもり
、業盛なりもり 、さてはまた、この孤父が子の経正、経俊、敦盛あつもり
なんどが、みな待っていることであろうよ。・・・・されば、知盛どのは、あとの始末して、ゆるりと、参られたがよいぞ」 と、いつにない、明るい声音こわね
で言った。 そして、その経盛は、そばにいた義弟の阿闍梨あじゃり
裕円ゆうえん に、 「得度とくど
してくれよ、お剃刀かみそり は、真似まね
ばかりでよい」 と頼み、また僧衣を乞うて、よろいの上に着、いつでもと、支度をすました。 それらは、一瞬に思われたが、いつか陽は、真紅の一環の端を、ちかと見せつつ夕雲に沈みかけてい、海づらも船上のあいろも、紫ばんだ暮気にくるまれようとしていた。 「みかどは、尼が抱きまいらせて」 やおら、尼は、屋形の外へ出て来た。経盛も、盛国も。そして侍座の僧侶そうりょ
までことごとく、入水の覚悟を見せて、舷ふなべり
へ立ち並んだ。 ── 人びとは無言になり、今し荘厳そうごん
の美を極めた落日の燃えくるめきを西方さいほう
の浄土じょうど と見て、たれいい合せるともなく、掌て
を合わせた。 そして、女院とみかどを、お待ちしていた。 |