〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-T』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十四) ──
だんうら の 巻

2014/06/21 (土) だい (四) 

まだ二十歳はたち にすぎない公達、左馬頭行盛は、斬り死にした。
その様を、 のあたりにして、同じ船にいた門脇中納言かどわきちゅうなごん 教盛のりもり は、思わず眼をおおていた。
「── わが子教経も、今は、こうして果てたに違いない」 と思う。
彼は、時に五十七歳。余りに兄清盛の偉にあまえ、うかと人生の大半を公卿なみに過ごして来、勇猛も才略もない自分をよく知っている。── そう知りながら、つい子の教経の勇と、その主戦説に引かれ、ついにここまで来てしまった身の凡庸ぼんよう さを、ひとりひそかに慙愧ざんき している姿であった。
その自分の身へ、彼はすでに、手ずからいかり のついた大綱を巻きからめ、ふなべり から海をのぞいていた。
真っ青な真美の底に、瞬間、たれかの顔が見えた気がした。── 兄清盛か、父忠盛の面影か、たれかが、そこまで来て、自分を波の底からさし招いていると思った。
教盛は、この世のたれへともない衆生へ向かって 「おさらば」 と、胸で告げ、仏の名号をとなえ、ざんぶと、海底へ身を消した。
ただここに、不覚な戸惑いを見せたのは、宗盛であった。
気も公卿なみだし、身も え太っている彼なので、もとより武勇の覚えはない。一子右衛 え 門督もんのかみ とともに、乱戦のひびきを耳に、船屋形の蔭にわなないていた。しかし、左右の郎党も、出て行ってはたお れ、出ては帰って来ず、飛騨景経や行盛も討たれたと聞いて 「今は」 と、彼も覚悟したとみえる。
ふなべり へ走り出、わが子と一つに、海へ身を投げようとした。
けれどなお、彼は、そこでも、ためらいを見せ、うろうろしていた。すると、何かわめ きざま、走り寄って来た一武者が、いきなり宗盛を海へ突き落とした。 「── あっ」 と、父の影が真っ逆さまに海へ向かってのまれてゆくのを見、
「父君っ」
と、子の右衛門督も、われから後を追って飛び込んだ。
つづいて、後からもまた、幾つもの水煙みずけむり が立った。宗盛を突き落としたのは、宗盛の部下だったのである。 「未練ない主かな」 と、歯がゆく思い、主を誘って、自分も入水したものらしい。
ところが、下にいた源氏の小舟が、
「今のこそ、大将らしいぞ」
「それっ、かき探せ」
と、熊手くまで鈎棒かぎぼう を伸ばしあって、 ぎ騒いだ。やがて、その一艘へ、宗盛の大きな体が引き揚げられていた。つづいてまた、はるかまで、流されていた右衛門督も、源氏の舟に、助けあげられ、孝か不幸か、父子ともに、生捕りの身となってしまった。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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