まだ二十歳
にすぎない公達、左馬頭行盛は、斬り死にした。 その様を、眼ま
のあたりにして、同じ船にいた門脇中納言かどわきちゅうなごん
教盛のりもり は、思わず眼をおおていた。 「──
わが子教経も、今は、こうして果てたに違いない」 と思う。 彼は、時に五十七歳。余りに兄清盛の偉にあまえ、うかと人生の大半を公卿なみに過ごして来、勇猛も才略もない自分をよく知っている。──
そう知りながら、つい子の教経の勇と、その主戦説に引かれ、ついにここまで来てしまった身の凡庸ぼんよう
さを、ひとりひそかに慙愧ざんき
している姿であった。 その自分の身へ、彼はすでに、手ずから碇いかり
のついた大綱を巻きからめ、舷ふなべり
から海をのぞいていた。 真っ青な真美の底に、瞬間、たれかの顔が見えた気がした。── 兄清盛か、父忠盛の面影か、たれかが、そこまで来て、自分を波の底からさし招いていると思った。 教盛は、この世のたれへともない衆生へ向かって
「おさらば」 と、胸で告げ、仏の名号をとなえ、ざんぶと、海底へ身を消した。 ただここに、不覚な戸惑いを見せたのは、宗盛であった。 気も公卿なみだし、身も肥こ
え太っている彼なので、もとより武勇の覚えはない。一子右衛 え
門督もんのかみ とともに、乱戦のひびきを耳に、船屋形の蔭にわなないていた。しかし、左右の郎党も、出て行っては斃たお
れ、出ては帰って来ず、飛騨景経や行盛も討たれたと聞いて 「今は」 と、彼も覚悟したとみえる。 舷ふなべり
へ走り出、わが子と一つに、海へ身を投げようとした。 けれどなお、彼は、そこでも、ためらいを見せ、うろうろしていた。すると、何か喚わめ
きざま、走り寄って来た一武者が、いきなり宗盛を海へ突き落とした。 「── あっ」 と、父の影が真っ逆さまに海へ向かってのまれてゆくのを見、 「父君っ」 と、子の右衛門督も、われから後を追って飛び込んだ。 つづいて、後からもまた、幾つもの水煙みずけむり
が立った。宗盛を突き落としたのは、宗盛の部下だったのである。 「未練ない主かな」 と、歯がゆく思い、主を誘って、自分も入水したものらしい。 ところが、下にいた源氏の小舟が、 「今のこそ、大将らしいぞ」 「それっ、かき探せ」 と、熊手くまで
や鈎棒かぎぼう を伸ばしあって、漕こ
ぎ騒いだ。やがて、その一艘へ、宗盛の大きな体が引き揚げられていた。つづいてまた、はるかまで、流されていた右衛門督も、源氏の舟に、助けあげられ、孝か不幸か、父子ともに、生捕りの身となってしまった。 |