〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-T』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十四) ──
だんうら の 巻

2014/06/19 (木) だい (三) 

「わき見すな。敵にかまうな。ただ行け、ただ捜せ。黄旗のお船を」
義経は、しきりに叫ぶ。
あせるまいとしても、あさらずにいられない。
は傾きかけている。 「・・・・・もし暮れなば」 と、間のない夜がこわ かった。このまま夜に入ったら手のほどこ しようもないと思う。
能登守の声も、彼は、背にして恥じなかった。── それからも、上総五郎兵衛忠光と名乗る敵の兵船、また、悪七兵衛景清ぞ、と叫びつつ追っかけて来る兵船にも悩まされた。
けれど、義経は、
「弁慶、防げ。── 大八郎、当れ」
と、ほかの舟勢に、殿軍しんがり させ、およそ振り向きもしなかった。
そして、幾たびか、舟も乗り換え乗り換え、桜間ノ介、渡辺眤わたなべのむつる鵜殿うどの 隼人助はやとのすけ 、佐藤忠信など六、七人にかこまれて、夕潮の急と、いよいよ濃い修羅しゅら の影を分けて、ひたすらその一目標を尋ねていた。
・・・・・・・・。
一方、義経の去ったあと。その乗船をあずけられた伊勢三郎義盛、後藤兵衛実基らも、むなしくはいなかった。
義経の身を案じ、義経たちの小舟の影に、後から続いていたのである。
と、その途中。
かじ の自由を失っているらしい平家方の一巨船が漂っているのを見かけた。なんで見過ごそう。ふなべり を寄せ並べ、ただちにそれへ斬り込んで行った。
思いがけぬ獲物であった。平家の総領、 内大臣おおい殿との の船だったのである。それだけに、精兵もいた。── とも用意せず、向こう見ずに躍り込んだ初手しょて の東国武者は、彼の反撃に会って、たちまちかばね をそこらに乱してしまった。 「ゆゆしき敵ぞ」 と見、伊勢三郎は、自船を空にして、二陣の先頭に立ち、後藤兵衛もまた、身をてい して、血風の下へ、駆け込んだ。
さきの 内大臣、宗盛公の乳人子めのとご 、飛騨四郎兵衛景経はここぞ、景経が手並みを見よや」
阿修羅あしゅら となって、前後に、屍を捨てている大武者がある。
「── れ討たば」 と目がけて、
「伊勢三郎義盛っ」
名乗るやいな、その大長柄が、風をまいて、いど みかかった。
ところへ、また源氏方の一艘が、舷側げんそく へぶつかって来た。堀弥太郎親経の手勢だった。あふれ込む兵を見ながら、弥太郎は自船のとも に立っていたが、急に弓をしぼって一矢を放った。
矢は、飛騨景経の内甲うちかぶと に立った。
どうと、四郎兵衛景経が倒れたところへ、堀の郎党が、まっ先に駆け寄って行き、からめ上げているのは見えた。伊勢三郎は、次の敵へ、駆け向かって行く。
平家の内蔵頭くらのかみ 信基のぶもと兵部少輔ひょうぶのしょうゆう尹明まさあきら なども、生け捕られ、縄目なわめ となって、乱離らんり矢屑やくず や楯と一しょに、ころ ばされていた。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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