〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-T』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十四) ──
だんうら の 巻

2014/06/18 (水) だい (一) 

黄旗きばた はどこに?」
「どれが、みかどの紛れおわす、秘船かくしぶね か」
自船を捨てて、三艘の小型な熊野舟へ乗り分かれた義経以下の面々は、血まなこで、敵中にただそれだけを捜し求めた。── 今は、その黄なる旗一つのあり所に、全海域の船合戦も、収縮された形であった。
すでに断末魔のそう をみせた平家方の船々ふねぶね は、義経の行動にも気づかず、わが身わが身のさいごにあわてているのか、右往左往な船影の乱れのうちに、ただ、叫喚を空しくしているだけだった。
しかしその間を縫い、たちまち、一群の軽艇が、義経の舟へ迫って来、
「そこなるは、敵の大将判官ほうがん と見たが、ひが目か。われは平家の能登守ぞ、教経なるぞ」
潮けむりのうちから、叫びかける者があり、
「捜していたぞっ。── 判官逃ぐるなかれ。能登の前に名乗り出でよ」
と、つづいておめ くのが、近づいた。
敵も十数艘、こなたも幾艘。どの上で、どの顔が、声を発したのやらも分からない。
だが、義経を守り合う面々は、能登と名を聞いただけでも 「すわ ──」 と、あらたまった戦気を持った。
その中では、岩国次郎兼秀がひとり教経の顔を知っていたので、
「油断あるな。能登どのは、あれよ」
と、指さして、味方の者へ教えていた。
そのとき、びゅんっと、敵の近矢が、兼秀の胴へ当った。矢は ね返ったが、兼秀は舟べりを踏みはず し、味方の足もとへ、ひっくり返った。
熊井太郎、水尾谷十郎のふたりは 「よい敵」 と、武者だましいにふく れたが、彼へ近づけぬ間に、江田源三が先んじて、熊野舟のとが ったみよし から、教経の舟へとし び込んで行き、
「見参っ」
とばかり、長柄の一颯いっさつ を、横に描いたが。が、空を打ったようである。
ざっと、高い飛沫ひまつ が、とたんに揚がった。源三の姿はなく、次の千葉ノ冠者胤春が、教経へ組まんとしていた。しかしこれも海中へ振り飛ばされた。
教経の小舟は、血で染められ。そしてはまた、潮の水玉で洗われた。いど んで行った東国武者は、例外なく、彼の大薙刀にかかり、命を落すか、蹴落けおと された。まったく、近づきえないがい があった。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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