潮幸
に乗った源氏の追撃は、ますます、急調を加えていた。 豊前岸へ追いつめられた平家の一船群は、完全に動きを失っている。 そこ一箇所でも、手負い討死の数はどれほどか。数十名の捕虜も出たらしく思われる。 点々と、陸上へ追い上げられて、虚脱したように、まだ熄や
まぬ海戦の余燼よじん をながめている蟻あり
のような人影のかたまりは、その生け捕り人の群れらしい。 虚空こくう
の矢響きがうすれ、また、まれにしか聞こえなくなったのは、戦局が徐々に圧縮されて来た証拠である。平家にとっては、和布刈 めかり
の御崎みさき が後ろをさえぎる土塀どべい
のようで退却の邪さまた げとなった。──
といって、早鞆ノ瀬戸の口は、すでに源氏が優勢な船数を配してい、そこは今、死力を尽くす平家との決戦場になっている。 勢い、壇ノ浦一帯の沖だけに、戦いの場は、制限された。ある水辺のふところへ追い込まれた魚群の盲目的な跳躍が、平軍数百艘の死力であったし、同様な運命だった。 とはいえ、その死力は、あなどり難い抵抗をしめし、苦悶くもん
をあらわにしてからも、生ける者の息の根強さを痛感させられるものがあった。かえって、気負いかかる東国武者が気負い疲れ、しばしば、彼らの中にも莫大ばくだい
な犠牲が出た。平家の一船を狩り奪と
るため、無数の兵船が、迫りつ開きつ、時にはわっと、怯ひる
み声ごえ のわき揚がるなどが、それであった。 ──
もう、敵味方のけじめさえ定かでない。今も、義経の旗艦へ、鈎縄かぎなわ
をほうり懸け、いきなり飛び込んで来た一雑兵などもある。 「── すわ!」 とばかり、乱刃の光が彼をかき消すかと見えた。雑兵は、半首はつぶり
の内から、 「桜間ノ介だ。桜間ノ介だっ。御免っ」 叫びざま、義経の床几の方へ駆け、息もあらあら、ぶっ倒れて言った。 「つい今し方、平大納言父子、赤間ヶ関の陸くが
を離れ、海上へ漕こ ぎ出られました。──
神器、ならびに、みかどのお在所ありか
、はやお目当てがついたものと存ぜられまする」 「おうっ、大納言どのの父子が、それへ、漕ぎ向かわれしとな」 義経も、下へひざをつき、 「桜間ノ介。矢傷でも受けたるか。いかがせしぞ」 と、彼の肩を抱いて、あとの語を、うながした。 幾すじかの矢が、彼の体には刺さっていた。──
が、介は顔を横に振った。どれほど、櫓ろ
を漕こ ぎ急いで来たことだろうか。矢傷そのものよりは、息がととのわない気色なのである。 「お案じ給わりますな、傷は何ほどのことでもありません。──
かねて、兄阿波民部の手の者十数名を、船島以来、大納言どののお身の護りに付けておきました。そこの郎党より、右の由を告げよこしましたゆえ、小舟を飛ばして、お知らせに参ったわけでございまする」 「あらうれし・・・・して、みかどと神器とは」 「御明察のとおり、日月の幡ばん
の下にはなく、べつの亀甲船きっこうぶね
に隠しまいらせ、あまたな船影につつまれて、御崎みさき
近くに漂うております由」 「と申しても、おなじ船型も多かろうに」 「いや、それの目印めじるし
には、帆桁ほげた の一端に、細き黄旗きばた
を掲げられありますそうな。それは、かねてお諜しめ
し合いのあった大納言どのの御内室帥そつ
ノお局つぼね からの密牒みっちょう
とのことにございますれば、間違いないことと思われまする」 「おお、それぞ疑いもなき、まことのお座船であろうよ。陽も暮れなんかの今、なんの天助ぞ。──
介すけ 、まいれ」 義経は、舷側げんそく
へ走り出、 「伊勢やある、伊勢やある」 と、伊勢三郎、後藤兵衛実基などを呼びたてた。そして早口に、 「この船、二人へ預けおく、よく戦え」 と、命じ、また水尾谷十郎、伊豆有綱を呼び、 「近くに、串崎舟か熊野舟あらば、小旗でさし招け」 と、いいつけた。何事か、ただならぬ急ぎ方のようである。 三艘の熊野舟が、舟脚早くざっと寄って来た。一舟の上には、鵜殿うどの
隼人助の姿が見える。 義経は、跳び移った。介すけ
も、つづいて乗った。 「さては、平家にとどめを刺さんと、殿御自身、敵の真っただ中へ斬り入るお心よな。陸くが
にては、馬前に遅れぬを慣なら
いとする。なんで指をくわえて見てあるべき」 命じられたのではないが、弁慶を始め、那須大八郎、熊井太郎、伊豆有綱など、われもわれもと、下の三艘の内へ、跳び乗ってしまった。
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