義経は疾
くから、渡辺ノ津以来の渡辺わたなべ
眤むつる をして、松浦党を誘っていたもののようである。──
が、水軍の行動には複雑なものがあり、一党中の異議もあってjか、この真際まで、答えがなかったものだった。 が、それも急に呼応となった。 さきには、彦島から原田種直が国へ去り、今また、松浦党が降った。筑紫諸党の全面的な崩れも、もう時を待つまでもない。 そのうえ、四国の阿波民部も、すでに源軍の一翼に加わって、鉾ほこ
を逆しまに、平家へ弓を引いている。 しかも今の満潮時が過ぎて、すぐ次に来る潮向きは、いよいよ源軍を有利にしよう。 その一天機から、平家は、逆潮不利にも陥お
ち、二重三重の苦戦をしなければならなくなる。 かくも源氏側には今、時と人と地の利と、三拍子の好条件が揃ってきた。けれどまだ微かな安心感も義経は持っていないようだった。たえず戦況へ気をくばり、また、雨雲の乱れにも似る敵の船列へ眼を転じていた。 「時に、松浦党の使いに訊たず
ねるが」 「はっ」 「そも、みかどの御座ござ
ある御船は、どれぞ? 知るなれば、正しく教えてほしい。いかなる功よりは重き功として、義経よりも鎌倉どのへ申し薦すす
めん。お汝こと らは知らざるか」 「申すまでもなく、日月の幡ばん
の見ゆる、あの唐船と心得おりますが」 「ちがう」 義経は、びしっと言い切り、そのことには、口をとじた。 根ほり葉ほりは無用と覚さと
ったものだろう。平家たりとて、それほどな秘計を、不用意に行うはずはない。平家内でも極く少数な主脳だけの知る計らいと、すぐ合点されたからである。 松浦党の二将は、ただちに自陣へ引っ返した。眤むつる
はとまどった。そして、乱箭らんせん
の下を漕こ ぎ帰って行く小艇の影を見送っていると、また、一艘の小舟が舷側げんそく
の下に漂い着き、 「おういっ、縄なわ
を投げろ。縄なと投げてよこせ」 と、喚わめ
きかけた。 櫓柄ろづか
を把と っているのは、大きな法師武者であり、ほかにはたれも乗っていない。 「や。武蔵坊どの」 眤が投げた縄の端は、とっさに弁慶の片方の手につかまれた。
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