〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-T』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十四) ──
だんうら の 巻

2014/06/12 (木)  ばた ま ぎ れ (一) 

白旗を立てた一艘の軽艇が、そのとき、巨船の横へ ぎ寄っていた。艇の武者は、上を仰いで、
「渡辺党の渡辺わたなべ むつる にて候う。乱軍のさいなれど、火急の儀にて、直々じきじき 、判官どのへお目通り仕りたき大事あり。御床几へお取次ぎ給わりたい」
と、波間から怒鳴っていた。
ゆるしが出、短い縄梯子なわばしご が降ろされる。すぐにそれにすがって、むつる とほか二人の武者が登って来た。
矢叫びの下である。船上は戦いのとどろきに間断がない。義経は床几に彼らを待ち、見るとすぐ、忙しげに、われから言った。
むつる か。連れたる二名は何者ぞ」
「はっ」 と、眤はうしろの者を眼で招いて ── 「これは、敵方の松浦太郎高俊の一族、呼子兵部よぶこのひょうぶ清友きよとも と、平戸の峰五郎みねのごろう ひらく にござりまする」
「うむ、松浦党の人びととな」
義経は、意外ともせぬ容子ようす であった。
「ここへともの うて来たは、いかなるわけか」
「されば、さい つころ、ひそかに相手へ通ぜよと、特にそれがしへ仰せ付けありし内応の儀、さすが、同族中の異議も紛々ふんぷん にござりましたが、今は早やお旨にそい、誓約におこたえ申し上ぐるに かじと、一党の談議も決まり、両名を使者として、これへおこた えによこしたものにござりまする」
「では、松浦党の大将太郎高俊には、一族をあげて、義経の誘いに応ぜんと、申さるるか」
「高俊どのご自身、拝参はいざん 申したきところなれど、なお乱軍の中、かつは筑紫諸党も、そのため、揺れ騒いでおりますれば、戦終わって後、親しゅう拝姿のうえ、万感、そのおりにとの、御伝言にござりました」
「よくぞ」
と、義経はまず、むつる の労をねぎらい、二人の使者にも、床几をすすめた。降参人でなく、対等の味方として、遇したのであろう。
もともと、松浦党と渡辺党とは、その発祥において、同根どうこん の枝葉であった。摂津ノ渡辺から別れて、筑紫の松浦や平戸に栄えた一部族が松浦党なのである。それも遠い年月を経たことでもないから、はしなくも今日、源平両陣に かれたとはいえ、なお同族のよし みは濃いものがある。いた ましい同根どうこん の血戦を見るには耐えぬ思いが、どっちにもあったのは否み難い。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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