白旗を立てた一艘の軽艇が、そのとき、巨船の横へ漕
ぎ寄っていた。艇の武者は、上を仰いで、 「渡辺党の渡辺わたなべ
眤むつる にて候う。乱軍のさいなれど、火急の儀にて、直々じきじき
、判官どのへお目通り仕りたき大事あり。御床几へお取次ぎ給わりたい」 と、波間から怒鳴っていた。 ゆるしが出、短い縄梯子なわばしご
が降ろされる。すぐにそれにすがって、眤むつる
とほか二人の武者が登って来た。 矢叫びの下である。船上は戦いのとどろきに間断がない。義経は床几に彼らを待ち、見るとすぐ、忙しげに、われから言った。 「眤むつる
か。連れたる二名は何者ぞ」 「はっ」 と、眤はうしろの者を眼で招いて ── 「これは、敵方の松浦太郎高俊の一族、呼子兵部よぶこのひょうぶ清友きよとも
と、平戸の峰五郎みねのごろう
披ひらく にござりまする」 「うむ、松浦党の人びととな」 義経は、意外ともせぬ容子ようす
であった。 「ここへ伴ともの
うて来たは、いかなるわけか」 「されば、先さい
つころ、ひそかに相手へ通ぜよと、特にそれがしへ仰せ付けありし内応の儀、さすが、同族中の異議も紛々ふんぷん
にござりましたが、今は早やお旨にそい、誓約におこたえ申し上ぐるに如し
かじと、一党の談議も決まり、両名を使者として、これへお応こた
えによこしたものにござりまする」 「では、松浦党の大将太郎高俊には、一族をあげて、義経の誘いに応ぜんと、申さるるか」 「高俊どのご自身、拝参はいざん
申したきところなれど、なお乱軍の中、かつは筑紫諸党も、そのため、揺れ騒いでおりますれば、戦終わって後、親しゅう拝姿のうえ、万感、そのおりにとの、御伝言にござりました」 「よくぞ」 と、義経はまず、眤むつる
の労をねぎらい、二人の使者にも、床几をすすめた。降参人でなく、対等の味方として、遇したのであろう。 もともと、松浦党と渡辺党とは、その発祥において、同根どうこん
の枝葉であった。摂津ノ渡辺から別れて、筑紫の松浦や平戸に栄えた一部族が松浦党なのである。それも遠い年月を経たことでもないから、はしなくも今日、源平両陣に割さ
かれたとはいえ、なお同族の誼よし
みは濃いものがある。傷いた ましい同根どうこん
の血戦を見るには耐えぬ思いが、どっちにもあったのは否み難い。 |