いよいよ、間近に寄って来た敵の群れを、その眼が、見まわしたと思うと、 「貞綱。これを預けおくぞ」 と、白柄の薙刀を、権藤内貞綱の手に渡し、また、真鍋次郎能光へ、 「弓を」 と、求めた。 握り太
な強弓ごうきゅう である。平家の公達のうちで、これほどな強弓をひきうる者は、教経のほかにはない。 塩飽しあくの
太郎たろう と、真鍋次郎が、そばにいて、こもごもに差し出す矢を、取っては射、取っては番つが
え、その射ることも、早かった。 もとより、彼だけの矢唸やうな
りではない。船上の部下は、ここを先途と、敵へ弦鳴つるな
りをあげていた。 しかし、敵から来る矢は、数倍していた。日月の幡にも、賢所の白木の御扉みとびら
にも、無数に突き刺さった。鴻こう
や鷹たか の羽根はね
が、羽根だけの生き物みたいに生々しく光を放って刺さっている。 「── あっ」 と、塩飽しあくの
太郎たろう が、顔を抑えた。 ちょうど、教経に手へ、矢を渡しかけていた瞬間だった。敵の一矢いっし
が、教経の肱ひじ に立ち、ぴっと、細やかな返り血が、彼の顔を染めたのであった。 「や、や。これや深い矢傷」 「はや、ここは危ない」 「殿っ、楯たて
の蔭へ、身をお沈めなされい。おうっ、凄すご
い矢風」 部下は、どっと寄って、人楯を作り、矢を引き抜いて、彼の傷口を布でぎりぎり巻いた。 そして、敵の眼から、余りにも烈しい目標となったらしいので、床几しょうぎ
を、下へ移すようにすすめたが、 「なんの」 と、のみで、教経はきかなかった。 「ここに、みかどはおわさねど、みかど在いま
すと、敵の目を、あざむいての日月じつげつ
の幡ばん なるに、さは軽々しゅう、怯ひる
みを見せてよいものか」 虚勢ではない。もともと、大敵の集中を受けるであろうことも承知の上で、彼はこの唐船へ、われからすすんで乗ったのだ。 「──
だが、じっと、味方の友船ともぶね
に護られたまま、いつまで、受け身に立っているのはもう我慢ならぬぞ」 言いながら、傷口の布の結びを、もいちど、歯と片手で、締め直した。そして、 「暴れよう。いで、暴れ出そうぞ、者ども」 と、やぐらから下をのぞき、 「おういっ盛澄、船脚ふなあし
を速すみ やかにせい。思うざま走らせ、むらがる敵の雑魚ざこ
船ぶね めがけて、突っ込んで行け。──
これは宋国そうこく にも通い、玄海の荒波にも耐えた大宰府だざいふ
船ぶね ぞ。いかなる大船へ打ぶ
ち当てようと、敵は砕けても、こなたは砕けぬ」 と、帆綱にある津ノ判官盛澄へどなった。 怒り出した海の巨獣のように、帆が鳴りはためき、両舷りょうげん
数十挺すうじっちょう の櫓ろ
が、勇壮な音階を一せいに起こした。 教経の言は、誇大ではない。唐船の威力は、巨鯨きょげい
のようであった。単なる武者立ち舟や、十挺櫓前後の小艇は、そばへも寄りつけないし、もしその鉄装の舳先へさき
へ当ったら、船は折れるか、覆くつがえ
ってしまうであろう。 波間も見えないほど無数な源氏の船影も、巨鯨の行くてには、さっと海を開いた。唐船を中心とするほかの諸船も、それにつづいて、しばし源氏の船々を、さんざんに蹂躙じゅうりん
していた。 |