〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-T』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十四) ──
だんうら の 巻

2014/06/11 (水) か ら ふ ね あば れ (四)

いよいよ、間近に寄って来た敵の群れを、その眼が、見まわしたと思うと、
「貞綱。これを預けおくぞ」
と、白柄の薙刀を、権藤内貞綱の手に渡し、また、真鍋次郎能光へ、
「弓を」
と、求めた。
握りぶと強弓ごうきゅう である。平家の公達のうちで、これほどな強弓をひきうる者は、教経のほかにはない。
塩飽しあくの 太郎たろう と、真鍋次郎が、そばにいて、こもごもに差し出す矢を、取っては射、取ってはつが え、その射ることも、早かった。
もとより、彼だけの矢唸やうな りではない。船上の部下は、ここを先途と、敵へ弦鳴つるな りをあげていた。
しかし、敵から来る矢は、数倍していた。日月の幡にも、賢所の白木の御扉みとびら にも、無数に突き刺さった。こうたか羽根はね が、羽根だけの生き物みたいに生々しく光を放って刺さっている。
「── あっ」
と、塩飽しあくの 太郎たろう が、顔を抑えた。
ちょうど、教経に手へ、矢を渡しかけていた瞬間だった。敵の一矢いっし が、教経のひじ に立ち、ぴっと、細やかな返り血が、彼の顔を染めたのであった。
「や、や。これや深い矢傷」
「はや、ここは危ない」
「殿っ、たて の蔭へ、身をお沈めなされい。おうっ、すご い矢風」
部下は、どっと寄って、人楯を作り、矢を引き抜いて、彼の傷口を布でぎりぎり巻いた。
そして、敵の眼から、余りにも烈しい目標となったらしいので、床几しょうぎ を、下へ移すようにすすめたが、
「なんの」
と、のみで、教経はきかなかった。
「ここに、みかどはおわさねど、みかどいま すと、敵の目を、あざむいての日月じつげつばん なるに、さは軽々しゅう、ひる みを見せてよいものか」
虚勢ではない。もともと、大敵の集中を受けるであろうことも承知の上で、彼はこの唐船へ、われからすすんで乗ったのだ。
「── だが、じっと、味方の友船ともぶね に護られたまま、いつまで、受け身に立っているのはもう我慢ならぬぞ」
言いながら、傷口の布の結びを、もいちど、歯と片手で、締め直した。そして、
「暴れよう。いで、暴れ出そうぞ、者ども」
と、やぐらから下をのぞき、
「おういっ盛澄、船脚ふなあしすみ やかにせい。思うざま走らせ、むらがる敵の雑魚ざこ ぶね めがけて、突っ込んで行け。── これは宋国そうこく にも通い、玄海の荒波にも耐えた大宰府だざいふ ぶね ぞ。いかなる大船へ ち当てようと、敵は砕けても、こなたは砕けぬ」
と、帆綱にある津ノ判官盛澄へどなった。
怒り出した海の巨獣のように、帆が鳴りはためき、両舷りょうげん 数十挺すうじっちょう が、勇壮な音階を一せいに起こした。
教経の言は、誇大ではない。唐船の威力は、巨鯨きょげい のようであった。単なる武者立ち舟や、十挺櫓前後の小艇は、そばへも寄りつけないし、もしその鉄装の舳先へさき へ当ったら、船は折れるか、くつがえ ってしまうであろう。
波間も見えないほど無数な源氏の船影も、巨鯨の行くてには、さっと海を開いた。唐船を中心とするほかの諸船も、それにつづいて、しばし源氏の船々を、さんざんに蹂躙じゅうりん していた。

義経の船は、田野浦沖を巡って、早鞆はやとも瀬戸せと の口へと、指針を向けて行くらしかった。
が、もし、その口をふさ がれたら、平家にとっては、致命である。当然、平家の一船隊が、その前に、横列を布いた。
平家方の主船の将は、小松新三位資盛と、弟の有盛だった。。
資盛は、ここで衝突した敵の中に、義経がいるとは知らず、ただ、早鞆の口を守るべく戦ったのである。── さきに、都の恋人へは、すでに歌がたみなども送って 「生きての恋はこれまでです。けれどわたくしの恋は、ここ長門のなぎさに、死後も長く歌いつづけているでしょう」 と、書き送っていたほどな資盛なのだ。その覚悟は、戦振いくさぶ りにも見え、どこか、いさぎよく、散り急ぐような、きれいさがあった。
矢交ぜはしたが、義経は、
「ここの攻めは、急ぐに当らぬ、船をかえ せ」
にわかに方向を変え、斜めに、壇ノ浦沖の乱軍の中へ、まぎ れ込んだ。
暴れまわる唐船が眼にとまった。
さんらんらる日月のばん が、血風けっぷう の中に尾をひるがえ し、銀龍ぎんりゅう金蛇きんだ のような光を宙に描いている。
みかどの御座ぎょざ 、三種の神器もその上ぞと、源氏の船は、なお蝟集いしゅう と追跡をつづけていた。
が、義経は、
「はて、不審?」
と、今にして、はっと気づいた。
ほんとに、みかどのいますお座船なら、なんであのような猛進をして来よう。好んで乱軍の陣頭に立ち、われから戦いを求めて来るはずはない。
「・・・・さてこそ」
義経は、ほくそ笑みを顔に持った。ある謎が、彼には解けかけていた。
といって、黄旗の秘事までを、彼が知り得るはずもない。義経はただ、お座船と見えるその唐船は、じつは空船からぶね にすぎなっことを、すぐ覚ったまでのことだった。
著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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