紅旗白旗入り乱れて、すでに全海域は、乱軍の相を描いている。しかし、知盛には註文がある。敵の小舟やただの兵船などには目もくれなかった。味方の十数隻を引き連れて、彼も、われから源軍の中へ白波を立てて漕
ぎ進んだ。 「── 九郎判官とやらに見参申さん。これは平家の大将、故入道どのの四男、権中納言知盛ぞ」 彼は、大櫓おおやぐら
からわざと名乗った。かくすれば義経も、姿を現わして来るかと思い、 「波間なれば、駆け合わすもままならねど、近くの船群ふなむ
れにいるなれば、出会い給え。── かくいうは、知盛なれ。権中納言のここにあるを、もし見過ごさば、名折れであろうに ── 」 漕こ
ぎまわし、漕ぎまわし、彼の叫びは、矢風の間にも高かった。しかし、義経はどこで戦っているのか、求める敵は、姿も見せない。 かえって、その声を知るや、義経ならぬ船々の東国武者が、 「ござんなれ、よい公達」 と見て、舳みよし
や艫とも の前後に、櫓音ろおと
や弦鳴つるな りを、むらがり寄せ、 「これは、鎌倉どのの家人、大内太郎おおうちたろう
惟義これよし 」 「庄ノ三郎忠家とはわれぞ」 「相手にとって、御不足はあるまじ、佐々木盛綱、見参」 などと呼ばわりつつ、あらゆる手段を尽くして、挑み戦って来た。 鉄爪かなづめ
の付いた縄なわ が飛ぶ。火のついた油玉が投げ込まれる。また、小舟の群れは船尾を狙う。これは敵の大船の舵かじ
を壊こわ しにかかるものだった。その間に、命知らずな武者は、鈎縄かぎなわ
にすがって、猿ましら のごとく舷側げんそく
をよじ登り、知盛の船内へ、打ち物かざして斬き
り込んで来た。 義経以下、副将の田代信綱、安田義定、また梶原までが、すべて注目を怠らずにいたのは、いうまでもなく、みかどのお座船であった。 日月じつげつ
の幡ばん 、賢所かしこどころ
のこしらえ、屋形重ねの楼ろう
などの見える唐船こそ、それと、眼ざしていたことは、たれの腹もちがわない。 で、義経の命令一下に、 「人びと、思うざま、戦いくさ
せよ」 となってからは、その日月の幡へ向かって、源軍の兵船が、真っ黒に懸って来たのは、当然であった。 しかし、能登守教経は、容易に将座を動かず、 「待っていた」 と言わぬばかりな落ち着きでながめていた。 午ひる
ごろ、いちど彼は死地に落ちて、その鎧よろい
から肌着はだぎ までを海水に濡れびたせてしまったので、装よそお
いは、かえていた。 よろい下着は、あざらかな山吹色に木の葉模様の銀摺ぎんずり
。威おど しは錆さ
びたる朱しゅ 。かぶとは邪魔な物のように、背へ投げ掛けている。そして長やかに佩は
いた太刀の曲線が、そのまま教経の姿だと言っていい。ぼっと、眉から頬へかけて、ほの紅いのは、大きな土器かわらけ
で一杯の酒を、 「末期まつご
の水」 と、笑いながら飲んだのが、なお微醺びくん
をのこしているものらしい。 「── なんと、下手まず
い戦を」 何度か、彼は唾つば
するように言った。 暗あん
に、知盛の今朝からの指揮を、不満としている風もある。 が、たえず口の辺りには、陽炎かげろう
のような微笑を失っていない。 その微笑は、冷たく、刃のようで、何か、皮肉めいて見えるが、しかし、 「愚痴はよせ、この期ご
において、女々めめ しい愚痴は」 と、たれへ言うのでもなく、自分で自分を叱る反省を、ふとつぶやいたりもいているのだ。
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