〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-T』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十四) ──
だんうら の 巻

2014/06/11 (水) か ら ふ ね あば れ (三)

紅旗白旗入り乱れて、すでに全海域は、乱軍の相を描いている。しかし、知盛には註文がある。敵の小舟やただの兵船などには目もくれなかった。味方の十数隻を引き連れて、彼も、われから源軍の中へ白波を立てて ぎ進んだ。
「── 九郎判官とやらに見参申さん。これは平家の大将、故入道どのの四男、権中納言知盛ぞ」
彼は、大櫓おおやぐら からわざと名乗った。かくすれば義経も、姿を現わして来るかと思い、
「波間なれば、駆け合わすもままならねど、近くの船群ふなむ れにいるなれば、出会い給え。── かくいうは、知盛なれ。権中納言のここにあるを、もし見過ごさば、名折れであろうに ── 」
ぎまわし、漕ぎまわし、彼の叫びは、矢風の間にも高かった。しかし、義経はどこで戦っているのか、求める敵は、姿も見せない。
かえって、その声を知るや、義経ならぬ船々の東国武者が、
「ござんなれ、よい公達」
と見て、みよしとも の前後に、櫓音ろおと弦鳴つるな りを、むらがり寄せ、
「これは、鎌倉どのの家人、大内太郎おおうちたろう 惟義これよし
「庄ノ三郎忠家とはわれぞ」
「相手にとって、御不足はあるまじ、佐々木盛綱、見参」
などと呼ばわりつつ、あらゆる手段を尽くして、挑み戦って来た。
鉄爪かなづめ の付いたなわ が飛ぶ。火のついた油玉が投げ込まれる。また、小舟の群れは船尾を狙う。これは敵の大船のかじこわ しにかかるものだった。その間に、命知らずな武者は、鈎縄かぎなわ にすがって、ましら のごとく舷側げんそく をよじ登り、知盛の船内へ、打ち物かざして り込んで来た。
義経以下、副将の田代信綱、安田義定、また梶原までが、すべて注目を怠らずにいたのは、いうまでもなく、みかどのお座船であった。
日月じつげつばん賢所かしこどころ のこしらえ、屋形重ねのろう などの見える唐船こそ、それと、眼ざしていたことは、たれの腹もちがわない。
で、義経の命令一下に、 「人びと、思うざま、いくさ せよ」 となってからは、その日月の幡へ向かって、源軍の兵船が、真っ黒に懸って来たのは、当然であった。
しかし、能登守教経は、容易に将座を動かず、
「待っていた」
と言わぬばかりな落ち着きでながめていた。
ひる ごろ、いちど彼は死地に落ちて、そのよろい から肌着はだぎ までを海水に濡れびたせてしまったので、よそお いは、かえていた。
よろい下着は、あざらかな山吹色に木の葉模様の銀摺ぎんずりおど しは びたるしゅ 。かぶとは邪魔な物のように、背へ投げ掛けている。そして長やかに いた太刀の曲線が、そのまま教経の姿だと言っていい。ぼっと、眉から頬へかけて、ほの紅いのは、大きな土器かわらけ で一杯の酒を、
末期まつご の水」
と、笑いながら飲んだのが、なお微醺びくん をのこしているものらしい。
「── なんと、下手まず い戦を」
何度か、彼はつば するように言った。
あん に、知盛の今朝からの指揮を、不満としている風もある。
が、たえず口の辺りには、陽炎かげろう のような微笑を失っていない。
その微笑は、冷たく、刃のようで、何か、皮肉めいて見えるが、しかし、
「愚痴はよせ、この において、女々めめ しい愚痴は」
と、たれへ言うのでもなく、自分で自分を叱る反省を、ふとつぶやいたりもいているのだ。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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