「見よ、殿輩
」 義経は、そこの高い所から、船上の武者へ、大声で、 「時刻も早や待ちに待ったる未ひつじ
ノ下刻げこく 。潮の落勢は休や
み、湖みずうみ にも似る漲みなぎ
りとはなったるぞ。・・・・いざ、敵へ向かって、思うさま戦いくさ
仕し かけよ」 と、きびきび命じた。 檣頭しょうとう
の小旗命令が、全軍へも示された。 同時に、とうとうと、攻め鼓が鳴り、攻せ
め鉦がね の響きが、波を逆巻いた。 およそ源氏勢の一艘一艘からそれは起こった。まったく、意気を新たにした武者声でもあった。
「かかれ、かかれ。思うさま戦いくさ
せよ」 という総懸りの令である。海を行く悍馬かんば
が一せいに手綱を放たれた勢いそのままであった。 先陣を競わば、先陣を切れ、奇功を思うて、敵の中へ深く潛まんとする者は、ただ深く突き進め。 乱打らんだ
する旗艦の急鉦きゅうがね は、各船の将に対して、意のままな戦闘と、功名漁りの自由を解放し、それを励まし、鞭むち
打つごとく、鳴っていた。 いや、義経自身も、ただ、将座に倚よ
って、戦をながめてなどいない。 彼もまた、一戦士となって、敵中へ獲物を求めて、突き進んで行くらしい。 彼の大船は、串崎の南から、急旋回きゅうせんかい
を起こして、豊前岸を左に、退陣のさいとは逆に、大きく、北へ向かって半円形を、えがき出した。 途中。── その旋回行動中に。 内応した阿波民部の四国船団が、彼の驥尾きび
についた。 そのうち、主船のやぐらに、阿波民部と、弟の桜間ノ介とが、姿を並べて立っている。 「・・・・・・」 声は届きようもないが、こなたの義経と、遠く相見て、ほほ笑み合ったかのようであった。 このとき、海峡の潮は、西へも東へも、揺るぎすら忘れた。不気味なほど、海面はひそまり満ち、豊前の沿岸も、壇ノ浦一帯の岸の根も、水位はずんと高くなり、山々は低く見えた。
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