主戦場は海上だが、一部の陸地も、当然、戦場の範囲に入っている。陸では陸の、微妙な動きやら陰の闘いもあったのはいうまでもない。 赤間の臨海館の址
へ、前夜から身を潜ひそ めている平大納言時忠。また夜半過ぎ、串崎の北磯から、武蔵坊弁慶に送られて、義経の誓書を携たずさ
え、父時忠の許へ、急ぎに急いで行った讃岐中納言時実なども、どうしたことか。 おなじ臨海館址の古建物の一つには、朱鼻あけはな
の伴卜ばんぼく なる怪物、欧州の吉次という妖商ようしょう
、その二人が潜もぐ っているらしい気配もあった。 そのほか、町屋の諸所、山野のいたる所に、姿こそ見せないが、戦わぬ庶民も、その日の海上を、かたずをのむ思いで、ながめあっていたことだろう。とにかく、平家の紅旗は、昨夜以来、赤間ヶ関一帯の陸上から影を消していた。ことごとく、今日の海戦に出たものと思われる。 そして、今日の埠頭ふとう
から壇ノ浦や串崎の磯松原だの漁村の屋根越しに、ひらめき見える旗幟はたのぼり
は、すべて源氏の印しるし だった。火ノ山の上に望まれるのも、白旗だった。 今壇ノ浦の辺を、一群の騎馬が、東へ駈けて行くのが見える。 「すわ、船手の味方危うし」 と、源氏の騎馬勢は陸上で気を揉み、口々に、 「敵の船勢ふなぜい
が、わが水軍を串崎に追いつめ、三方より殲滅みなごろし
を計る気色ぞ」 と、叫んでいた。で、当然な加勢を思い、おのおの、掩護えんご
に駆け集まったものらしい。 だが、川などと違い、海ではあるし、烈しい潮うしお
、馬を乗り入れての加勢など、思いも寄らない。 ただ、波際に馬を立て、弓を弓手ゆんで
にして 「── 近くこそ寄れ、ひと泡吹かせん」 と、海上の敵を、睨まえているだけだった。 その中には、金子十郎、和田義盛、鎌田正近、畠山重忠、片岡為春など、兜かぶと
の眉廂まびさし 深く、双そう
の眼まなこ を研と
ぎすまして、うつつもなき顔も見える。 そのうちに、」彼らはまた、どどどどっと、外浦とうら
の方へ二町ほど、先を争って駆けなだれた。 平家の左翼か、中軍の船勢か、どっちかであったろう。平家方の三段の陣も、ここへ来ては、見分けもつかぬほど、包囲の翼をせばめ、岸へも、源氏の船へも、接近していた。 「それっ」 とばかり陸の源氏が駆け出したのも、敵の船隊が、近々と、外浦の岸へ接して来たのを見たからだった。おのおの、弦つる
を争い張って、「── 得たり! 矢ごろぞ」 と、渚なぎざ
から敵の船目がけて、びゅんびゅん、射出した。 海面での視覚は陸の目測とだいぶ違う。思いのほか距離があった。矢の多くはむなしく落ち、浪間の塵ちり
と浮いて流れて行く。平家はこれを見て、 「あな、笑止」 と、どよめき笑い、 「小ざかしき陸くが
の東国武者どもに、潮かぜの中の強矢つよや
はこう射るものと、眼に見せてくれんず」 船々の艫ともへ
舳に、平家は強弓の士をそろえて、一せいな矢響きを応酬し出した。 |