平家七百余艘、源氏六百艘ぢかくは、いま完全にひとつ海面
をうずめ、敵味方のけじめもわからず、乱れ合った。 ただ、紅くれない
の旗、白き旗が、それと知られるだけである。 絡から
み合う小型な兵船と兵船との、打ち物を振りかざしての斬り結び。 熊手や、鈎棒かぎぼう
などで、引っ懸け合い、撲なぐ
り合い、また、組んではそのまま、諸もろ
だおれに、飛沫ひまつ の下となるのもある。 巨船の動きは、鈍重であった。 自然、矢戦やいくさ
の応酬が多い。舷々舷々げんげん
双方の上から湧き上がる武者声は、弦鳴つるな
りや波音をもくるんで、ふしぎな大音響を雲に谺こだま
させている。 光と色を持つ疾風はやて
とも見える矢風の中には、おりおり、鏑矢かぶらや
のうなりが魔の笛を吹いて走り、火ダネを抱いた火箭ひや
も薄い煙を矢道にひき、射い つ射られつ、飛び交う。 「さても無謀な敵。──
そも、義経は何を思うて、潮向きの不利も厭いと
わず、かかる総攻めを無む 二無む
三に仕懸けて来たか?」 知盛は疑った。思わず、そうつぶやいたことだった。 平家の旗艦は、彼の坐乗するこの一隻であり、屋形やかた
重がさ ねの大櫓おおやぐら
は、すなわち司令の塔であった。 一時は、彼も狼狽ろうばい
した。色をなし、声をからしつつ、自陣の立て直しに、死に物狂いの指揮を見せていた。 けれど 「さても無謀な義経 ──」 と、いうつぶやきが、彼の口から出た時は、もう、急場をこえて、ある機微な見通しと同時に、落ち着きも得ていたらしい容子ようす
に見えた。── そして今は、 「・・・・よしっ」 と、自ら許しているような眉根であった。ようやく、盛り返して来た味方の旗色を見たのである。 とともに、胸は、人知れず傷いた
んでいた。 「ああ、この狂瀾きょうらん
の中に、幼いみかどが在あ る。耳を掩おお
い、黒髪を伏せ、ただわなないているしかない女房の群れは」 と、思いやらずにいられない知盛だった。 ── ふと、その眼を、さまよわせる。 まるで幾千羽の雁がん
が、一沢いったく の水に浮いているような敵味方の船影である。彼の眼は、何かを、その中に探しているふうだった。 「オ。あれに」 眸に映った物は、細い黄旗の流れだった。
「ああ、幼帝はおつつがない」 と、一安心したかのように、ふと、そのまま凝視を凝こ
らしている。 すると、すぐ櫓やぐら
の真下で、 「や、や、異いら
な臭にお いがするぞ」 「屋形の内から煙りがもれている。屋形の内を、あらためろ」 「出火だ。火箭ひや
が刺さったのだ。屋形の内に」 「なに、火箭が?」 煙は、櫓やぐら
へ噴き上げ、横へも、はい拡がる。 兵の消化は、迅速じんそく
だった。幸い、見つけたのが早かったので、大事にもいたらなかった。しかし、余燼よじん
のいぶりはなお立ち昇って来、知盛は、何度も咽む
せた。 |