小さい船窓から射す光線が、玉座の莚
のあたりへ、ちょうど水に映った月影ほどな明りを落している。 布を敷き、その上に懐紙を展の
べて、女院は、絵筆を把と っておられるのだった。 「オ・・・・。能登どのか」 女院は、羞恥はじら
うように、あわてて筆も、描か
きかけの絵も、御袖の下へ、お隠しになろうとした。 ── だが、興に入って、おん母の絵筆の技わざ
に見とれておいでだったみかどは、またたちまち、泣き出しそうなお顔になった。── せっかく、ごきげんになったものをと、女院は、ぜひもなげに、そのお眸め
だけで、教経のほうへちらと会釈えしゃく
を示された。 「・・・・や、何かと思えば、お絵を遊ばしていらっしゃいますか。ははあ、お絵をのう?」 戸惑いに似た驚き方で、教経はそう言った。──
水のない水底へでも入って来たような別の世界にここが見えた。それ以上、ことばの継ぎ穂もなく、彼もただ女院の筆のお手もとをながめていた。 「何が、み心に染まぬというて、御子みこ
は、人の嘘うそ がいちばんおきらいでいらっしゃいます。・・・・のう御子、そでございましょう」 皆に、見守られているせいであろう。絵筆に水を持たせ、穂に墨をふくませても、女院は、なかなか、筆の穂を、紙へ落そうとはなさらない。 そしてただただ、みかどのおむずがりを、怖れるように、こうお顔をのぞき、また、教経の方へ、話しかけた。 「そこにいる、平内左衛門が、いけないのです。・・・・今日の彦島を出るおりでした。みかどが、蟹かに
の戯たわむ れを御覧ごろう
じあって、それにお気をとられ、容易に、お船への渡御とぎょ
が行われぬため、つい、平内左衛門が、みかどに嘘を申し上げたのです。・・・・御船にまいれば、美しい耳盥みみだらい
に、たくさん、蟹が飼うてありまする、と。・・・・けさ、お目を醒さ
まし給うやいな、蟹は、耳盥の蟹は、としきりなおせがみではありませぬか」 「や。これや、なんとも」 平内左衛門は、教経の後ろで、頭を抱えた。恐懼きょうく
にたえない恰好である。 「・・・で、では、さいぜんの、甲かんく
だかいおん泣き声も」 「いえ、あのお怒りは、女房たちが、御子みこ
の御意ぎょい のまま外へお出し申し上げなかったからですが、そもそものごきげん損じは、みなが、まろを騙だま
した、まろを欺あざむ いたという朝のおことばからでした。よほど、くちおしゅう、御意に逆ろうたとみえまする」 「・・・・はて、困りましたの。こう沖遠くでは、蟹もいず、船にいるのは船虫のみで」 教経が、苦笑の下に、つぶやくと、帥そつ
ノ局つぼね 、治部卿ノ局などと並んで、端にいた臈ろう
ノ御方が、 「そのため、耳盥に飼う蟹に代えて、おん母の君が、蟹のお絵を画いてお見せ申しましょうと、わらわたちがおなだめしたので、ようやく、み気色がようおなり遊ばしたところなのです。女院には、もともと、お絵はお上手でいらせられますから」 女院が絵に巧みなことは、たれ知らぬ者はない。そういわれて思い出すまでもなく、教経もさっきから、過去のある日を、瞼まぶた
に重ねて、彼女を見ていたことだった。 ── かつて、故清盛が、厳島神社へ奉る納経のうきょう
の作製を思いたった当時のこと。幾十巻という納経の扉絵とびらえ
には、一族の女性のうちでも特に絵を画くに巧みな姫を選んで筆をとらせたものである。 その姫君たちの中に、まだ、いとうら若い十代のころの徳子 (建礼門院)
の姿も交じっていた。絵筆、切箔きりはく
、金砂銀泥、絵具皿えのぐざら
などを、唐毛氈からもうせん のうえに取り散らし、真白い頸うなじ
をやや傾かし げ気味に、絢爛けんらん
な納経のとびらへ線をえがき、彩色の思いに暮れなどしていた人の、丈長い黒髪や、つぶらな眸は、春の長日も忘れ顔であった。 ── 過ぎ去った一昔も前の、そうしたある日の西八条の美しい一室の光景などが、ゆくりなく今
── 教経の脳裡のうり に思い出されていたとき、目の前にある白紙の上に、いつとはなく、女院の筆になる墨絵の子蟹こがに
と親蟹が二ツ三ツ、点々と、はいうごくばかりあざやかに画かれていた。 「おお、おできになりました」 「まあ、なんと、可愛らしいこの子蟹」 「御子さま。これで、平内左衛門の嘘は、ごかんべん遊ばしておやりなされませ」 帥そつ
や、治部卿や、臈ろう ノ局たちが、みかどと、おん母を繞めぐ
って、しきりに、お気を紛まぎ
らしている様子をじっと見、教経はもう、ここへ伺候した自身の用は、心の中ですましていた。 かれの気がかりは、みかどの御身辺に異状はないか、女院もおわすか、それだけであった。ただそれだけを見届けるため、小早舟こばや
を漕こ ぎ寄せて来たにすぎない。
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