ただ、その彼にも、返すがえす、おまいましい一恨事
がある。 平大納言時忠のありかただった。 今にして、なお彼は 「なぜ、屋島を出るさい、あのおりに、時忠どのを斬ってしまわなかったか。 「一期いちご
の不覚ではあった」 と、口惜しく思う。 ── で昨夜、宗盛の内諾を得て、部下を屋島へ放ち、今日の海戦前に、禍わざわ
の根を絶ってしまおうとしてのであったが、その策は、失敗に帰した。 そればかりか、立ち帰って来た刺客が彼に告げた時忠の言というものを聞けば 「── 能登は、よい甥おい
、よい男とは思うが、彼の考えと、自分の思慮とは、千里もちがう」 と言ったとか。 そのうえに 「さほど、平家に殉じゅん
じて、美しゅう死にたいならば、なぜ人の生き方や他を気にせず、自己の信念どおり、ただ一人でも返り見なく死ねないのか、そう時忠が申したと、能登へ伝えよ」 という伝言であったという。 と、聞いた時教経は、
「人を小ばかにしたいいぐさ」 と、怒ったが、しかし、今朝の彼は、叔父おじ
の言にも一理はあると、思い直していた。 とはいえまた、時忠がひそかに企むであろう行動とその裏切り目的に、毛頭、気を許すことは出来なかった。 彼の乗船は、主上のいない偽装の唐船であった。日月の幡ばん
を見、敵の精鋭は、その一船へ集中して来るに違いない。教経は、予想されるその大敵を引き受けて戦わんと、わらから望んで乗ったのである。── 彼の小早舟こばや
の舳みよし は今、その唐船へ近づきかけていた。 と、なに思いついたか、教経は、 「や。──
待て、権藤内ごんのとうない 」 急に、手を打ち振って、櫓ろ
へ命じた。 「この舟、あとへ戻せ。ちと思い出したことなあるわな。舳みよし
をまわせ」 櫓を把と っていた権藤内貞綱と、弟の貞童の二人は、いわるるまま、すぐ大きく方向を変えながら、 「もいちど、内大臣の殿にお船へ、お戻りなされますか」 「いやいや、阿闍梨あじゃり
の御船みぶね へ立ち寄り、阿闍梨あじゃり
裕円ゆうえん どのに、お目にかかっておきたいのだ。今生こんじょう
のお別れも告げたし、かたがた、お願い事もちとあれば」 と、べつな船を指さした。 その船の帆桁ほげた
には、細い黄旗が風に吹かれていた。 権藤内ごんのとうない
兄弟には、教経のことばの裏と、ほんとの目的とが、すぐ読めた。けれど小早舟こばや
の櫓手ろしゅ には、左右六人も並んでいた。彼らはただの水夫かこ
にすぎない。黄旗の船に幼帝みかど
がおいでとは知らないし、また、知らせてはならないのだった。 |