〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-T』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十四) ──
だんうら の 巻

2014/05/31 (土) さけ しょう (二)

休息中、大船と大船との間には、小早舟こばや の往来が頻繁ひんぱん だった。わけて、宗盛の船には、一時、諸将の姿が集まった。
しかし、みな忙しげにすぐ自船に ぎ戻って行く。権中納言知盛も、ちらと見えたが、すぐ帰った。ひとり能登守教経だけは、舟屋形に残って、かなり長い間、何か宗盛とひそやかに話しこんでい、やがて彼もまた、悠々ゆうゆう と帰って行った。
教経の今日のおもて は、何にたとえようもないほど、青白く えて見える。
荒公達あらきんだち といわれているが、都のいるころから体は病弱な方だった。そのくせ無類の大酒なのである。 「姿は柳の如く、気は松籟しょうらいうそぶ くに似たり」 とは、公達のたれかが彼を評した言葉であった。
今日の彼も、幾らか、酒気をふくんでいたかも知れない。
── 今、宗盛の船を辞して、小早舟こばや の中に腰かけ、青地に銀摺ぎんずり狩衣かりぎぬ に、はな おどしの鎧を着、手に大薙刀おおなぎなた をかい持っているその姿に、微醺びくん があった。
一門の公達は皆、今日を前に、歯に鉄漿かね を染め、薄化粧して、かぶとの や肌に、こう き込めなどしていたという。── それを彼は、こう を酒の薫りに代え、化粧を微酔の朱唇しゅしん に代えている心意気かもわからない。
「生は一宵いっしょう の酔い。死は一杯の水」
と、 て、きめているのだ。
雲の流れも、波のあや も、彼には、すべてが自己の生涯を終わる日のよそお いに見えた。
飾られている自分のひつぎ を見ているような心地だった。
「十年や二十年、生き長らえたとて、何するものぞ。しょせんは白骨をまぬがれ得ぬ身ではないか。平家一門は、咲くべくして地上に咲き出た花。当然、散るべき日が来たまでのことだ・・・・。散りざまも身汚みぎたの うしては、可惜あたら というもの。過去の星霜までをみずからけが し、ただ顕栄と我欲の亡者の浅ましい末路とのみ見られよう」
彼は少しの迷いも持たない。
その双眸そうぼう が、よく、その一途さを ぎ出していた。運命を直視していた。
「たった今、内大臣おおい殿との にも、くれぐれ申したことだが、朝の一戦に、味方が勝ったるは、敵の梶原が不覚に招いた破れ、義経の本心に出た戦ではない。されば、源氏弱しなどと思うは大きな間違い。── やがて潮向きの変わりを見なば、必定、義経自身陣頭に立ち、ふたたび せて来るであろう。その時こそは」
彼には、もう乱軍の結果が、眼に見えていたらしい。
多年、瀬戸内のここかしこに、船戦ふないくさ の経験をつんで来た彼には、両軍の布陣隻数などからも、到底、味方に勝目のないことは、分かっていた。
それにつけ、心の底では、
「・・・・憐れなのは、おみな 、子ども」
と、彼も思わないわけではない。
けれど、世に残してゆくのは、死へ連れて行くよりも、もっとみじめな、そして、むごい結果になるだろう、というのが教経の考えだった。 「── こずえの花は、もろともがいい。無情のようだがそれが情けだ。女房たちとて、たれひとり、あとに生き残っていたいとは願っていない」 そう、彼は思い込んでいた。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
Next