休息中、大船と大船との間には、小早舟
の往来が頻繁ひんぱん だった。わけて、宗盛の船には、一時、諸将の姿が集まった。 しかし、みな忙しげにすぐ自船に漕こ
ぎ戻って行く。権中納言知盛も、ちらと見えたが、すぐ帰った。ひとり能登守教経だけは、舟屋形に残って、かなり長い間、何か宗盛とひそやかに話しこんでい、やがて彼もまた、悠々ゆうゆう
と帰って行った。 教経の今日の面おもて
は、何にたとえようもないほど、青白く冴さ
えて見える。 荒公達あらきんだち
といわれているが、都のいるころから体は病弱な方だった。そのくせ無類の大酒なのである。 「姿は柳の如く、気は松籟しょうらい
の嘯うそぶ くに似たり」 とは、公達のたれかが彼を評した言葉であった。 今日の彼も、幾らか、酒気をふくんでいたかも知れない。 ──
今、宗盛の船を辞して、小早舟こばや
の中に腰かけ、青地に銀摺ぎんずり
の狩衣かりぎぬ に、卯う
ノ花はな おどしの鎧を着、手に大薙刀おおなぎなた
をかい持っているその姿に、微醺びくん
があった。 一門の公達は皆、今日を前に、歯に鉄漿かね
を染め、薄化粧して、かぶとの緒お
や肌に、香こう を炊た
き込めなどしていたという。── それを彼は、香こう
を酒の薫りに代え、化粧を微酔の朱唇しゅしん
に代えている心意気かもわからない。 「生は一宵いっしょう
の酔い。死は一杯の水」 と、観み
て、きめているのだ。 雲の流れも、波の綾あや
も、彼には、すべてが自己の生涯を終わる日の装よそお
いに見えた。 飾られている自分の柩ひつぎ
を見ているような心地だった。 「十年や二十年、生き長らえたとて、何するものぞ。しょせんは白骨をまぬがれ得ぬ身ではないか。平家一門は、咲くべくして地上に咲き出た花。当然、散るべき日が来たまでのことだ・・・・。散りざまも身汚みぎたの
うしては、可惜あたら というもの。過去の星霜までをみずから穢けが
し、ただ顕栄と我欲の亡者の浅ましい末路とのみ見られよう」 彼は少しの迷いも持たない。 その双眸そうぼう
が、よく、その一途さを研と ぎ出していた。運命を直視していた。 「たった今、内大臣おおい
の殿との にも、くれぐれ申したことだが、朝の一戦に、味方が勝ったるは、敵の梶原が不覚に招いた破れ、義経の本心に出た戦ではない。されば、源氏弱しなどと思うは大きな間違い。──
やがて潮向きの変わりを見なば、必定、義経自身陣頭に立ち、ふたたび襲よ
せて来るであろう。その時こそは」 彼には、もう乱軍の結果が、眼に見えていたらしい。 多年、瀬戸内のここかしこに、船戦ふないくさ
の経験をつんで来た彼には、両軍の布陣隻数などからも、到底、味方に勝目のないことは、分かっていた。 それにつけ、心の底では、 「・・・・憐れなのは、女おみな
、子ども」 と、彼も思わないわけではない。 けれど、世に残してゆくのは、死へ連れて行くよりも、もっとみじめな、そして、むごい結果になるだろう、というのが教経の考えだった。
「── こずえの花は、もろともがいい。無情のようだがそれが情けだ。女房たちとて、たれひとり、あとに生き残っていたいとは願っていない」 そう、彼は思い込んでいた。 |