梶原自身、眼前のこの事実に
「こはそも、何事?」 と、疑った。戸惑ったといっても過言でない。湍潮
の暴威を見ながら、その中の味方を扶たす
けんと、彼の大船も、湍潮に巻かれていたのである。 だが、小型船ほどにはそれに眩めくるめ
かないまでも、たちまち、自由を失った。つきまとう平軍の兵船は、執拗しつよう
だった。彼らは、こもの海面に馴れてい、櫓ろ
使いにも舵かじ の取りようにも熟練していた。敏捷びんしょう
な軽艇は、自己の舳へさき の破損を犠牲にしてまで、梶原の乗っている大船の舵かじ
へ向かって、その先端せんたん
を、ぶつけて来る。 ある武者は、そのついでに、艫綱ともづな
へぶら下がり、敵の船内へ、斬り入った。また一方の胴どう
の間ま からも躍り込んだ。碇いかり
形の鉄の爪を、細綱の先から投げ込み、船体にへばりついて離れない小舟もある。危険なのは、そこから、火のついた松明たいまつ
や、油玉と称する物を、大船の竹楯たけだて
の内へほうり込まれることだった。 火と言えば、知盛は、この海戦に、火矢も使った。鏑矢かぶらや
の尖さき を火屋ほや
となし、火ダネをもったそれが、大船の屋形や櫓やぐら
に降りそそいで来るのである。 「── 平家弱し」 とのみ呑の
んでかかった東国武者も、胆きも
を冷やした。そこまでは、思い及ばなかったことである。 源太景李、平次景高などの船も、苦戦はまぬがれなかった。彼らは、父思いなよい子息であり、よい武者だった。けれど、父を案じても、父親の船へ、助けに寄ることも出来なかった。はるか距へだ
てられ、彼らも、平軍の重囲に落ちかけていた。 義経の船、そのほか、源氏の諸声もろごえ
と攻め鼓は、どうにか、そのさいの間に合った。全滅に瀕ひん
しかけた梶原一族の人と船とが、まだほぼ半数は海面にあるうちに反撃を加え、ようやくその旗色をもち直していた。 ── とはいえ、底を見せた破船の空骸むくろ
や、楯や旗や人の屍は、洪水こうずい
の後の流木りゅうぼく みたいに、海一面を芥あくた
にした。その流れざまを見れば、今さらのように、ここの怪異な潮の底意地悪さが歴としてわかる。 「── 退け貝を吹け。はや、退け貝を」 義経は、声を嗄か
らして、かつ命じた。 「風は、西北風いなせ
ぞ、帆を上げよ。疾と う疾と
う、長門の方へ寄れ。── 敵の嘲あざけ
りに、射返しすな。嘲わら わせておけ、ただ遁のが
れ出よ。義経の船に続かぬ者は、源氏方にあらざる者ぞ」 からくも救出された梶原の船勢は、惨さん
として、味方の船陣の中にもう抱えられていた。舵かじ
を折られ、舵もきかない船には、艫綱が投げられ、味方の船にひかれて退いた。 突然、雲へとどくばかりな凱歌がいか
が揚がった。振り返ると、田野浦一面の紅旗が揺れ沸いている。 平軍は、その勝機に乗じょう
じて、なお追うかと思われたが、追って来る気色はない。三度目の凱歌が、つなみのように、また、海づらを駈けた。 その勝鬨かちどき
のなかにある敵将知盛の顔が、義経には、眼に見えるようであった。彼は敗れたが、しかし、平静を欠いてはいない。ただおりおりに、面を俯ふ
せた。舷側を洗う潮の速さと方向を、じっと見ているのだった。 |