敵の恐
さを知るがゆえ、いちばい、深く思うところのあった義経にとって、梶原の出し抜けな応戦は、まさに不慮の出来事だった。 だが、彼は、 「しまった」 とは言わなかった。 自身でさえ、愕然がくぜん
としたのである。そのうえ、周囲の味方を狼狽ろうばい
させてはならないと思ったのであろう。 好ましくない接触、機会として最悪なと知りつつも、ただちに螺ら
を吹かせて攻勢に転じたのは、いわゆる、角を矯た
めて牛を殺すな、という諺ことわざ
どおり、士気を矯た めころすのも愚策と、一応とった処置だったに相違ない。 しかし、一令一令しか知っていない麾下きか
の全軍は、 「梶原勢につづけ」 と叫びあい 「梶原どのにおくるるな」 と、今朝から倦う
みかけていた士気をいちどに奮った。 義経は、将座の高き所から、 「それもよし」 と、心のうちで味方をながめ、 「あれ見よ。梶原勢は苦境に落ちしぞ。かしこは、湍潮せしお
の難所、梶原を、むざと討たすな」 そこから叫び、また、近づくほどに、 「うかと、湍潮の流れに入るな。海づらをただ見てのみでは分かるまいぞ。矢屑の浮き沈みを、船道の標識しるべ
とせよ」 と、教えた。 敵味方相互の矢は、ほとんど、所きらわずである。不気味なうなりを空間に切り交ちが
えていた。北東の風がある。これも岬を後ろにした平軍に有利であった。源氏方の矢は、風に逆らわなければならない。おおむね、波間に落ちてしまう。 さらに、みじめだったのは、心ならずも、湍潮に乗せられ、躍起やっき
の櫓声ろごえ をそろえても、意志に従わない兵船の幾十艘かだった。もちろん、余りに進み出た梶原麾下の者どもである。あれよと、戦以外の騒ぎに気を奪われているうちに、彼らの船影は、御崎みさき
の方へ持って行かれてしまい、われから平軍の内側へ入ってしまった、 それも、結集してならばだが、潮に、弄もてあそ
ばれたことなので、支離滅裂の漂いにすぎない。平家にとっては、拿捕だほ
も、皆殺しも、意のままであった。一船の上、まるで芒野すすきの
のように矢を浴び、朱あけ の屍かばね
の山を積んでいるほか、櫓手ろしゅ
ひとり生き残っていない源氏の船が、ゆらゆら、波に送られて行くのが見える。 一隻の兵船が、平家の幾艘にもからみつかれ、また、船上に乗り込まれて、ほしいままな薙な
で斬ぎ りをうけたり、海へ蹴込けこ
まれたりしているものもあった。 到底、これは、五分と五分の合戦ではない。圧倒的に、平軍の勝目である。 |