〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-T』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十四) ──
だんうら の 巻

2014/05/27 (火) 好 敵 手 (三)

敵のこわ さを知るがゆえ、いちばい、深く思うところのあった義経にとって、梶原の出し抜けな応戦は、まさに不慮の出来事だった。
だが、彼は、
「しまった」
とは言わなかった。
自身でさえ、愕然がくぜん としたのである。そのうえ、周囲の味方を狼狽ろうばい させてはならないと思ったのであろう。
好ましくない接触、機会として最悪なと知りつつも、ただちに を吹かせて攻勢に転じたのは、いわゆる、角を めて牛を殺すな、ということわざ どおり、士気を めころすのも愚策と、一応とった処置だったに相違ない。
しかし、一令一令しか知っていない麾下きか の全軍は、 「梶原勢につづけ」 と叫びあい 「梶原どのにおくるるな」 と、今朝から みかけていた士気をいちどに奮った。
義経は、将座の高き所から、
「それもよし」
と、心のうちで味方をながめ、
「あれ見よ。梶原勢は苦境に落ちしぞ。かしこは、湍潮せしお の難所、梶原を、むざと討たすな」
そこから叫び、また、近づくほどに、
「うかと、湍潮の流れに入るな。海づらをただ見てのみでは分かるまいぞ。矢屑の浮き沈みを、船道の標識しるべ とせよ」
と、教えた。
敵味方相互の矢は、ほとんど、所きらわずである。不気味なうなりを空間に切りちが えていた。北東の風がある。これも岬を後ろにした平軍に有利であった。源氏方の矢は、風に逆らわなければならない。おおむね、波間に落ちてしまう。
さらに、みじめだったのは、心ならずも、湍潮に乗せられ、躍起やっき櫓声ろごえ をそろえても、意志に従わない兵船の幾十艘かだった。もちろん、余りに進み出た梶原麾下の者どもである。あれよと、戦以外の騒ぎに気を奪われているうちに、彼らの船影は、御崎みさき の方へ持って行かれてしまい、われから平軍の内側へ入ってしまった、
それも、結集してならばだが、潮に、もてあそ ばれたことなので、支離滅裂の漂いにすぎない。平家にとっては、拿捕だほ も、皆殺しも、意のままであった。一船の上、まるで芒野すすきの のように矢を浴び、あけかばね の山を積んでいるほか、櫓手ろしゅ ひとり生き残っていない源氏の船が、ゆらゆら、波に送られて行くのが見える。
一隻の兵船が、平家の幾艘にもからみつかれ、また、船上に乗り込まれて、ほしいままな りをうけたり、海へ蹴込けこ まれたりしているものもあった。
到底、これは、五分と五分の合戦ではない。圧倒的に、平軍の勝目である。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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