〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-T』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十四) ──
だんうら の 巻

2014/05/25 (日) 好 敵 手 (一)

よ、射よ。つる を並べて、まず射浴びせよ」
梶原景時は、 えていた。
彼の一船には、三男の三郎景家、一族の漢陽かんやの 五郎ごろう 、鎌倉西党の海老名えびな 源八げんぱち などが乗り込んでい、早くも 「賢所の神器はわが手に」 と、奇功をつかむ思いに燃え、どの兜顔かぶとがお も、それのみに、こわ ばっていた。
嫡子の源太げんた 景李かげすえ 、次男平次景高などもまた、べつな軍船にあったが、父景時の令に、 「おくるるな者ども、屋島のはじ は、今日そそげ」
「九郎の殿に、鼻あかせよ」
と、部下を励まし抜く声が、舷々げんげん 相互に ち合う波しぶきのうちに聞こえた。
梶原一党の持ち船は、軽艇を ぜて百余隻であった。それが輪陣をくずして平家の前衛へ近づくと、たちまち海面は弓鳴ゆな りの強風をよび、敵味方の咆哮ほうこう に、波は波を打って白く狂った。
東国武者の慣いである。早くも、平野を騎馬で飛ぶように、八挺櫓はっちょうろ 、十二挺櫓の小型の兵船が、先を争って、奔濤ほんとう のあいだを縫い、平家の船陣へと、あわや接してゆく。
── が、なんとそれは野戦と違う無謀であったかがすぐわかった。
盲進といおうか、無成算といおうか。いわば大将梶原のあせりであったというしかあるまい。矢風や白波をくぐって先へ ぎ出た小舟の兵や種々さまざま な兵船は、たちどころに、自由を失い、乱離らんり となって、あらぬ方向へ、木の葉のように押し流された。
と見るや、平家方では、
しも へまわっれ、あの船、からめ れ。かなたの小舟の群れへ、こなたの大船の舳先へさき を打つけて行け」
と、陣を開いて、拿捕だほ にかかった。
梶原は、狼狽ろうばい した。
それが何の理由によるかも、とっさには判断もつかないのだ。ただ声をあららげて、
「やあ、未熟な船頭ども、敵へ迫りつつ、なんのざまぞ。あたら先手の舟勢を、みすみす敵の餌食えじき にさすな。かか れ、懸れ、わが大船も、敵の大船へ、こう 、懸れっ」
と、怒号した。
部下の陥ったわな を見ながら、まだ足らずに、彼、その子息らの将船までも、進んで危険極まる湍潮せしお へ入ってしまったのである。
湍潮とは、なんであろうか。
ここの海峡が持つ特異な秘密性といっていい。ただ見る海づらだけでは分からないが、早鞆はやとも ノ瀬戸から沖へ出て行く激烈な落潮の勢いが、沖の圧力に押し返され、大きくひたたび を描いて、もとの方へ戻って来る。その回流かいりゅう をいうのである。
湍潮のもどりあし は、急ではない。早鞆の口を落ちるときよりはゆる やかになっている。それだけに、表面はおとなしい海に見えるので危険なのだ。── なぜなら、その回流は、御崎みさき の横にさえぎらてて、また反転運動を起こし、田野浦の前面あたりでは、いわゆる南水道と呼ばれる激流の主勢と れ合って、無軌道な底渦そこうず や無数の渦流かいりゅう を作っているからである。
著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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