〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-T』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十四) ──
だんうら の 巻

2014/05/21 (水) たてひょう  (三)

帆綱頭ほづながしら水尾谷みおのや 十郎じゅうろう と、水夫頭かこがしら千葉ちば冠者かじゃ 胤春たねはる とが、船上の兵を叱咤しったもと に指揮してい、また螺手らしゅ は、望楼の上から息のかぎり、なお法螺貝ほらがい を長々と吹きつづけている。
大八郎は、やぐら組の一人なので、ただちに、そこのやぐら へ上がって行った。すでに、義経も、眉を澄まして立っていた。
ながめやれば ──
ここ串崎の北磯にある船影は今、一せいに、檣上しょうじょう へ帆を張りあげ、そして徐々に、ゆるぎ出る方向へ、その帆綱を操縦しあっていた。
巨大な帆影と帆影は、幾段にも重なりあい、その序列が成ると、先頭の船から船脚ふなあし に白波を見せはじめ、みよし迂回うかい して、串崎の突端から西へ大きく曲がってゆく。
先陣は、梶原景時父子とその一族の船列が、およそ百余艘。
二陣は、副将の田代冠者信綱だった。それに佐々木盛綱、高綱、安田三郎義定などの八十余隻。
次に、中軍の大将軍船。
いうまでもなく、それには義経が乗っていた。庄ノ三郎忠家、大内太郎おおうちたろう 惟義これよし 、勅使河原権三郎などの諸船であり、また伊予の河野水軍も、颯々さつさつ とつづいてゆく。
特長のある田辺水軍は、それよりもなお、幾段か後の方だった。
さらにまた。
時を同じくして、満珠・千珠の二島の蔭から、鵜殿うどの 隼人助はやとのすけ の熊野水軍と、串崎舟の一隊が、 ぎ出しているのが見える。それはいずれも、船脚ふなあし の早い軽艇であった。
「── 風は追い風」
義経は頭上の帆鳴りを仰いで、
「田野浦の敵勢も、はや、われらの動きを知った様子。── もうよいぞ、船脚はちと早過ぎる。帆を下ろして、すべて、 ばかりにせよ」
と、楼上から、命令した。
旗艦が、帆を下ろすと、先陣後陣の船影もみな、それになら った。あわただしい壮観である。
おりから東方の水平線には、朝がかがや き初めて来た。その辺に、厚い雲が多いせいか、太陽はすがた を見せず、春も三月なのに、寒々とそよ ぎ立ったうな づらだった。いつとはなく、一波一波が、朝の光をひらめかしてくる。── ただ、長門側の壇ノ浦一帯の山蔭だけが濃く暗く、そして、不気味なほど、ひそとして見えた。
「おう、平家もあれに」
一瞬、静止した源氏の船陣は、おのおのの舷側げんそく や、櫓上から、ひとしく眼を西岸の一角、田野浦へ放ちあったにちがいない。
かなたは豊前の岸である。ちょうど、文字ヶ関の和布刈 めかり御崎みさき からやや南へ寄った所。そこに、平家は全水軍の戦列を き、夜来、万全の備えを終わって、待ち受けていたらしい。
「── ござんなれ、いつなりと」 という気勢が、おびただしい船影と、ひるがえる無数の紅旗にもながめられた。
田野浦の地勢は、東へ向かっているので、 が昇るにつれ、御座船の日月じつげつばん旌旗せいき まで、あざらかに、かがや いて見えたが、源軍の船影は、朝陽を負っているので、平家方から見れば、おそらく、ただ団々として、海をはう黒雲のようにしか見えなかったことであろう。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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