義経は、じっと思う。平家内部の違和は、合戦の前夜を境に、いよいよ表面化したと見るしかない。 とすれば、明日の成り行きいかんにかかわらず、時忠の運命には微光もない。源平両軍が身一つの適となったわけだ。その一命は呪
いの風に、刻々、吹きまたたかれている。 (── やわか、彼を見殺しに出来ようか) どこかで叫ぶものがある。義経は責められた。声は、自身の胸からのものだった。 かつて、若年ごろの浮浪中、その時忠には、助けられた恩もある。 平家人へいけびと
にはめずらしい彼の大剛だいごう
な気風と、信じるに足る人物ということも、その時知ったのだ。── 心に残されていたそれが今日 「平家方でも、あの人ならば」 と、桜間ノ介を用いて、わらから款かん
を通つう じることにもなったのである。 早くから、時忠の方でも、和議の緒いとぐち
を見出そうと苦慮していたものに違いないが、それにせよ、時忠父子をここまで深間ふかま
へ誘い込んだものは、たれでもない自分であった。この義経であったものをと、彼は、自分に責められていた。 「・・・・・・・」 つと、彼は船房に二人を残して、何も言わず出て行った。 みぐるしい自分の惑いを二人に見せ、また二人の切なげな姿を見ているにも耐えられなくなって来たのだろう。──
そこを出れば、潮音は暗く、檣上しょうじょう
を仰ぐと、まだ星の青さ、北斗の位置、丑うし
の刻こく
(午前二時) はすぎていない。 兵はみな眠っていた。 檣ほばしら
の下、艫綱ともづな の蔭、よろい具足の寝姿が、寂としてながめられる。──
出動にはまだ一刻半 (三時間) のゆとりがあった。ほか数百の船影にも声一つしない。 義経は、植え並べてある楯たて
の蔭に添って、船床ふなゆか の通路を、右舷うげん
左舷さげん と、ひとり巡り歩いた。幸い、眼をさまして怪しむ兵もなかった。もし、彼のその顔を近々と足もとから仰いだ兵がいたら、常ならぬ苦悶くもん
の眉色悶びしょく に驚いたことであろう。──
が、やがて、ただ一人、その現うつつ
ない姿をいぶかって、彼の影について、後ろからのそのそ歩いて来たものがある。 「・・・・・いかがなされました、殿。・・・・殿」 「弁慶よな」 ──
われに返ったように 「それよ、弁慶」 「はっ」 「そちならば持っていようが」 「何をでございましょうや」 「熊野の牛王ごおう
の誓紙」 「誓紙を」 「ひそといたせ。すぐ筆と硯すずり
を用意して、あの櫓やぐら の上へ来い」 いうやいな、義経はもう櫓梯子やぐらばしご
へ片足をかけていた。とかくの答えや、弁慶の不審顔など、かえりみていられなかった。そのすきにも、惑いのすき間へ、べつな理性が心を占し
めて来るからだった。 |